住宅街のビーチに「米軍が上陸してくる!?」 知られざる「沼津の激せま米軍基地」とは 住民は「なんかやってるな」

戦車射撃で烏帽子岩が欠けた!?

 その後、太平洋戦争が勃発すると、1944(昭和19)年ごろには警察官の許可がないと一般市民は海水浴をすることができなくなるほど、激しい訓練が連日続いたと言われています。

 戦後になると、辻堂海岸一帯の訓練場は日本を占領した連合軍によって接収され、のちに在日米軍の辻堂演習場(通称チガサキ・ビーチ)として使われるようになりました。なお、このとき烏帽子岩めがけて戦車の射撃訓練も行われたそうで、この影響で岩の先端が吹き飛んだそうです。

 こうして長きにわたって演習場として使われていた辻堂海岸ですが、1959(昭和34)年には、ようやく一帯が在日米軍から返還され、徐々に現在の姿へと変わっていきました。

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1953(昭和28)年に神奈川県の辻堂演習場、通称「チガサキビーチ」で上陸訓練を行うアメリカ軍の様子(画像:茅ヶ崎市)。

 このように、過去には本州に2か所あった上陸訓練場は、現在では沼津の今沢基地だけになっています。そのため、本州で行われる本格的な上陸(揚陸)訓練のほとんどは今沢基地に集中することになったのです。

 なお、本州以外の地域を見渡してみると、常設の上陸(揚陸)訓練場は今沢基地以外に、北海道の浜大樹訓練場、天塩訓練場、そして沖縄県にいくつかの在日米軍管理の訓練場がある程度です。

 危険範囲に立ち入らないことが条件ですが、今沢基地の周囲には堤防が整備されているため、そこから訓練を見学することも可能です。

 ただし、駐車場がないため、地元住民へ迷惑をかけることなどを考慮すると、公共交通機関を利用した方がよいでしょう。

【了】

【戦車がズラーリ!】これが半世紀前の今沢海岸の姿です(写真)

Writer: 武若雅哉(軍事フォトライター)

2003年陸上自衛隊入隊。約10年間勤務した後にフリーフォトライターとなる。現場取材に力を入れており、自衛官たちの様々な表情を記録し続けている。「SATマガジン」(SATマガジン編集部)や「JWings」(イカロス出版)、「パンツァー」(アルゴノート)などに寄稿。

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