新幹線を悩ませる財源問題 なぜ東海道は5年で完成できたのか
「国の経済発展の隘路」と呼ばれた東海道
東海道新幹線を5年で完成できた主な理由として、まず輸送力の増強が急務だったことが挙げられます。昭和30年頃、東京と名古屋、大阪、神戸を結ぶ東海道本線の輸送力が限界に迫り、この問題が「国の経済発展の隘路」とまで表現される状況になっていたのです。それを解決する手段として、新幹線が建設されました。
東海道新幹線と山陽新幹線はそのように輸送力を増強する必要に迫られ、それを主目的に建設されました。しかしそれ以降の新幹線は、国策として「国土の均衡ある発展をはかる」ことが主目的という大きな違いがあります。
着工前に、既に用地の確保やトンネルの建設が進行していたことも挙げられます。1941(昭和16)年に東京~下関間で、「弾丸列車」と呼ばれる最高速度200km/hの高速鉄道計画が着工されました。しかし戦況の変化によって1943(昭和18)年、工事が中止されます。この「弾丸列車計画」で既に確保されていた用地、建設されていたトンネルがあり、それを新幹線に流用することができたのです。
また1964(昭和39)年に東京オリンピックの開催を控えていたことも大きな理由でしょう。
東海道新幹線は時代の要請と「弾丸列車計画」の存在が大きな理由になり、短期間で完成しました。しかし財源は東海道新幹線でも大変な問題になり、一時は建設中止さえ危惧される状況に陥ってしまいます。
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