運用たった1年!? 難読すぎる旧海軍の駆逐艦とは 来日ゼロなのに佐世保が母港なぜ?

第一次大戦において、地中海で活動した旧日本海軍の艦隊。そのなかに、現地雇用された駆逐艦が2隻ありました。「橄欖」「栴檀」と命名された、外国生まれの異形の艦を振り返ります。

旭日旗掲げたのはわずか1年あまり

 旧日本海軍の駆逐艦というと、映画『ゴジラ-1.0』で登場した「雪風」や「響」などがよく知られています。そのような有名艦の対極にあたる、ほとんど知られていない艦として「橄欖(かんらん)」「栴檀(せんだん)」が挙げられるでしょう。

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旧日本海軍の第2特務艦隊旗艦として駆逐艦8隻を率いて地中海に派遣された防護巡洋艦「明石」。同艦は1917年4月以降、地中海で船団護衛任務に就き、8月に交代の装甲巡洋艦「出雲」が到着するまで奮闘した(画像:アメリカ海軍)。

 この2艦、実は旧日本海軍が運用したのはわずか1年強という短期間です。運用期間の短さだけなら、太平洋戦争中に建造・沈没した艦のように思えるかもしれませんが、そうではありません。しかも、本国である日本には一度も寄港したことのない「異色」の旧海軍艦艇なのです。この2隻はどのような駆逐艦だったのでしょうか。

「橄欖」「栴檀」の2隻が現役だったのは、いまから100年ほど前の第一次世界大戦時です。日本はこの戦争に、イギリスやフランス、イタリアなどが含まれる連合国の一員として参戦しました。

 第一次大戦は当初、ヨーロッパ方面での戦いが主であり、同方面の主要参戦国のひとつであるイギリスは、特に海軍に関して、日本に対しいくつかの要請をしてきました。

 というのも明治維新以降、日本海軍はイギリス海軍を「師」と仰いで近代化を進めてきた経緯があり、かつての日本では建造が難しかった主力艦もイギリスで建造されるなど、同国海軍は「子弟」ともいえる日本海軍の能力をよく知っていたからです。

 イギリス海軍が出した要請のひとつに、地中海における商船や輸送船団の護衛に携わってほしいというものがありました。これに対し日本海軍は、二等巡洋艦「明石」を旗艦に、駆逐艦8隻からなる第2特務艦隊を編成。司令官の佐藤皐蔵少将に指揮を執らせ、地中海へと派遣します。

 1917年4月、第2特務艦隊は、活動拠点となるマルタ島のイギリス海軍基地に到着しました。さらに同年8月、一等巡洋艦「出雲」と駆逐艦4隻が増援として加わり、旗艦も「明石」から「出雲」に交代しました。

【威容がスゴイ!】ヨーロッパ派遣艦隊の旗艦務めた「出雲」です(写真)

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