運用たった1年!? 難読すぎる旧海軍の駆逐艦とは 来日ゼロなのに佐世保が母港なぜ?
第一次大戦において、地中海で活動した旧日本海軍の艦隊。そのなかに、現地雇用された駆逐艦が2隻ありました。「橄欖」「栴檀」と命名された、外国生まれの異形の艦を振り返ります。
一度も来日していないのに佐世保鎮守府に所属!?
第2特務艦隊は、マルタ島に到着すると速やかに商船や輸送船団の護衛任務に従事。艦艇の稼動率の高さや優れた任務遂行能力、将兵の規律正しさなどにより、現地で高い評価を得ました。そこでイギリス海軍は、自国の駆逐艦を第2特務艦隊に貸与して、一層の戦力アップを図らせようと動いたのです
こうして選ばれたのが、H級駆逐艦でした。同級は、第一次大戦勃発直前の1910年から1912年にかけて20隻が建造された比較的新しい軍艦で、そのうちの2隻、「ネメシス」と「ミンストレル」が貸し出されています。
H級は最大速力27ノット(約50km/h)、主武装は10.2cm砲2門、7.6cm砲2門、53.3cm魚雷発射管2基などです。第2特務艦隊の主力だった樺型駆逐艦の最大速力30ノット(55.56km/h)、12cm砲1門、8cm砲4門、45cm連装魚雷発射管2基と比べると、性能的にはやや劣るといった感じでしょうか。
2隻は1917年10月に第2特務艦隊へ貸与され、「ネメシス」が「橄欖」、「ミンストレル」が「栴檀」と改名されています。そして日本人艦長と日本人乗組員が乗艦し、樺型で編成された第11駆逐隊(1918年4月に第23駆逐隊と改称)に編入されました。
こうして「橄欖」と「栴檀」は日本軍艦として任務に就きますが、日本海軍での扱いは軍艦ではなく雑役船だったとか。とはいえ、佐世保鎮守府の所属扱いで、きちんと軍艦旗を掲揚して活動しています。
そして第一次世界大戦終結後の1919年1月17日、「橄欖」と「栴檀」は揃ってドーバー海峡に面した港町プリマスでイギリス海軍に返却されました。
なお、艦名として用いられた「橄欖」は、油が採れる食用の実がなるオリーブに似た植物の名称。一方、「栴檀」は薬用植物のひとつで、近年の研究でインフルエンザ・ウイルスの不活性化や抗がん作用があると報告されています。
Writer: 白石 光(戦史研究家)
東京・御茶ノ水生まれ。陸・海・空すべての兵器や戦史を研究しており『PANZER』、『世界の艦船』、『ミリタリークラシックス』、『歴史群像』など軍事雑誌各誌の定期連載を持つほか著書多数。また各種軍事関連映画の公式プログラムへの執筆も数多く手掛ける。『第二次世界大戦映画DVDコレクション』総監修者。かつて観賞魚雑誌編集長や観賞魚専門学院校長も務め、その方面の著書も多数。
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