巨大な高速道路の橋脚がなぜ折れた? 阪神大震災30年 原因の“構造”はどう見直されたのか
阪神大震災発生から30年を迎えます。同震災で衝撃的な映像といえば、阪神高速の道路が橋脚ごとへし折れて横出しになっているシーンを思い浮かべる人も多いかと思いますが、なぜこのような状況になったのでしょうか。
キノコ型の橋脚と「段落とし」が大きな原因か
ピルツはドイツ語でキノコのことで、橋脚と橋桁が一体化した構造がキノコのように見えたことから呼ばれるようになったそうです。
同構造は工期短縮などで使用された工法でした。当時は橋脚と橋桁が一体構造になっていたとしても大きな地震には耐えられるという想定でしたが、予想以上の大きな揺れが起きたため、一体構造を採用していたピルツ橋脚は振り子のように左右へ大きく振られることとなり、橋脚ごと折れてしまうほどの力が働いたといわれています。
そのため阪神高速は、震災から復旧後の同区域ではピルツ構造ではなく、橋桁と橋脚を分離する構造とし、地震力の低減を可能とする免震支承を採用しました。
さらにもうひとつ、当時は阪神高速含め多くの橋脚が抱えていた地震への重大な弱点がありました「段落とし」構造です。
段落としとは、橋脚に垂直方向で入れる鉄筋(主筋)を施工の際に橋桁の中央部分のみ減らす方法です。本来の鉄筋を橋脚全てに同じ本数入れる工法よりも、工期・工費を大幅に削減できたためよく採用されており、強度的にもそこまで問題はないだろうとみられていました。
1980年以前に作られた橋脚には、倒壊した阪神高速の橋脚も含め、多くの橋で段落とし構造が採用されており、震災時に段落とし部分から主筋が曲がり、橋脚の屈折に至る橋が多くありました。完全に曲がらない場合でも、コンクリートの内部まで破損が発生し、表面のコンクリートを崩落させる橋脚なども見られました。
震災後は、段落しを有する鉄筋コンクリート橋脚の耐震性能を向上させるために、全国で耐震補強工事が行われることとなりました。
この震災では阪神高速3号神戸線と、その9か月前に開通した5号湾岸線が同時に通行止めとなりましたが、湾岸線は同年9月1日に復旧。神戸線は段階的な部分開通を経て、震災から約1年8か月後の1996年9月30日に全線復旧しました。
大きな地震が発生する場合、それまでの常識を覆す様々な想定外が発生します。地震だけではなくほかの災害も含め、発生した後に教訓を得て改善されることも多々あります。
Writer: 斎藤雅道(ライター/編集者)
ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。
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