「これが売れなかったら四輪撤退…」→超ロングセラーに! 世界の「シビック」を生んだ“妙な納得感のある理論”とは
ホンダの「シビック」は、1972年発売の初代から現在まで、日本のみならずアメリカをはじめ世界で愛されてきました。そんなシビック、じつはホンダにとってまさに救世主ともいうべき存在でした。
ギリギリの状態から生まれた世界的名車
ホンダ四輪の代表的モデル、シビック。1972(昭和47)年に登場したクルマで、2019(令和元)年の車名別世界販売台数は5位にランクするロングセラーモデルです。日本国内はもちろん、アメリカを始めとした世界中で愛され続けてきました。
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今でこそ「日本を代表する名車の1台」と表されるシビックですが、その誕生前夜までのホンダは、後発参入した四輪業界でヒットに恵まれず、「このクルマ(シビック)が売れなかったら四輪事業から撤退」と考えられていたといいます。
四輪参入当初のホンダは、軽規格のスポーツカー、Sシリーズを開発し、専門家やマニアたちを魅了したものの、量販性はなくいずれも1970(昭和45)年で生産を終了。その他のモデルも芳しい販売台数に至っておらず、生産ラインもポツンポツンと流れる程度。「次のプロジェクトが失敗したら、四輪事業の継続は難しいだろう」といった緊張感が社内に漂っていました。
そんな「次のプロジェクト」として立ち上がったのが、「634」という名称の新車開発プロジェクトでした。早速、ベテラン開発者と若手勢それぞれ10人を2チームに分けて開発企画を練ることに。意見交換の中でプロジェクトチーム全員に共通したものは、「本当に自分たちが乗りたいクルマを作ってみたい」というものでした。
実は、このプロジェクト以前のホンダ四輪は「お父さん(本田宗一郎)」の考えをベースに開発されており、従業員がゼロスタートで1台のクルマを開発するのは、このプロジェクトが初めてのことだったのです。
2つのチームが意見を出し合いまとめた「本当に自分たちが乗りたいクルマ」は、「世界のベーシックカーとして、軽量・コンパクトでキビキビ走れるもの」でした。紆余曲折あり、その中で落とし込まれた答えは、「3ドアハッチバックの台形スタイル」というもの。それまでになかった独特のデザイン、そして1200ccエンジンのモデルでした。
当時すでに5ドアハッチバックのライフを発売しており、これにヒントを得ながらの開発でしたが、前例のない3ドアハッチバックの台形スタイルは、誰から見ても斬新すぎる意匠でした。プロジェクトチームの中にはまだ確信を持てないメンバーもいましたが、そこで外装デザイン担当者はこう説得します。
「バイクで、ナナハン(750cc)とモンキーが並んでいた場合、モンキーに乗っている人も『存在感』で気後れすることなく威張っていられます。そんな『誇れるクルマ』がこの1台なのだ」
プロジェクトチームの意見がまとまったところで、会社側に提案。「君たちが良いと思うなら、周囲の声をシャットアウトして実車になるまでやってみろ」と当時の所長は号令をかけます。1200ccエンジンを搭載し、安全性を確実に担保し、さらに居住空間をできる限り広く取りながらの軽量化は試行錯誤を繰り返しましたが、最終的にはお父さん・本田宗一郎からも許可がおり、実車化に至ります。
名付けられた名前は「シビック」。英語で「市民の」という意味のもので世界中の人々に寄り添うベーシックカーになることを目指し名付けられました。
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