「これが売れなかったら四輪撤退…」→超ロングセラーに! 世界の「シビック」を生んだ“妙な納得感のある理論”とは
ホンダの「シビック」は、1972年発売の初代から現在まで、日本のみならずアメリカをはじめ世界で愛されてきました。そんなシビック、じつはホンダにとってまさに救世主ともいうべき存在でした。
社内外の懐疑的な声をよそに発売以来、爆発的なヒットに
こうして完成したシビック。見慣れぬ3ドア車を前に、開発チーム以外のホンダの社員たちからの声は「なんだこのクルマは」「こんな格好のクルマは売れるのか」という懐疑的なものでした。こういった声もあったからなのか、1972(昭和47)年に2ドアモデルを先行して発売します。
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発売直後の販売台数は芳しいものではありませんでしたが、その後に3ドアモデルを発売すると、若い世代を中心に爆発的な人気を博し、なんと月に1万2000台以上の生産に至る大ヒットを記録。さらにはこの前例なき3ドアモデルは、1972年から1974(昭和49)年まで史上初となる3年連続のカー・オブ・ザ・イヤー(日本カー・オブ・ザ・イヤーの前身)を受賞するに至りました。
また、シビックは海外にも輸出され、当初より欧米各国で異例の高評価を得ましたが、特にアメリカで爆発的なヒットに至ったのが1973(昭和48)年以降のモデルに搭載されたCVCCエンジンでした。
CVCCエンジンとは、マスキー法という排出ガス規制に、世界中のどの自動車メーカーよりも早く適合させたホンダのエンジンです。アメリカでのシビックのキャンペーンでは「ANY KIND OF GAS(どの種類のガソリンでもどうぞ)」と謳い、その低燃費性によってガソリンスタンドの列に並ぶ人たちを救うとともに、ホンダの高い技術力を示すことにもつながりました。
そして、大きなクルマが多いアメリカにおいても、かつて外装デザイン担当者が目論んだ「『存在感』『誇れるクルマ』であれば、気後れすることなく威張っていられる」は見事に大当りしたようにも思います。
ここまでの通り、シビックは四輪参入当初、鳴かず飛ばずだったホンダ四輪を立て直した1台であり、そして世界中で53年ものの長きにわたって愛され続ける日本のクルマです。
過去9回のフルモデルチェンジを行っているシビック、それぞれのモデルに様々な開発ストーリーと特長があるはずですが、最も意義深き1台は、やはり1972(昭和47)年登場の初代シビックのように感じます。
Writer: 松田義人(ライター・編集者)
1971年、東京都生まれ。編集プロダクション・deco代表。バイク、クルマ、ガジェット、保護犬猫、グルメなど幅広いジャンルで複数のWEBメディアに寄稿中。また、台湾に関する著書、連載複数あり。好きな乗りものはスタイリッシュ系よりも、どこかちょっと足りないような、おもちゃのようなチープ感のあるもの。
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