橋がなんか歪んでる→「空襲の痕!?」 都内に意外と多い「街かど戦禍遺産」たち 東京大空襲80年
東京大空襲から80年がたちますが、今でも東京都内には、戦争の爪痕が残っています。東京大空襲を中心に、9つの貴重な戦争遺構を紹介します。
橋が語り継ぐ歪みや焼け痕、貫通痕
●3 平河天満宮の鳥居の機銃掃射痕(千代田区平河町)
平河天満宮は最高裁判所や国立劇場の近くに鎮座する神社です。1844(弘化元)年に建てられた銅製の鳥居の柱木に、12.7mm機銃弾の痕が残っています。
弾痕の入射角や、弾痕同士が非常に近くて並んでいる点を考えると、東京大空襲より後の、小型機による低空からの機銃掃射かもしれません。
1945年3月後半に米軍が硫黄島を占領すると、長距離飛行できる米陸軍のP51マスタング戦闘機が、日本本土上空で活動を始めます。同じく終戦末期に日本周辺の制空権・制海権を握ったアメリカは、本土近海に空母を差し向け、F6Fヘルキャット戦闘機、F4Uコルセア戦闘機など、艦上機による空襲も活発化させています。
●4 日本橋の焼夷弾痕(中央区)
日本橋の石造りの欄干と親柱にも、東京大空襲のM69焼夷弾による焦げ痕がいくつも見られます。
M69は全長約50cm、直径8cm弱、重量約2.7kgの六角柱型をした鋼鉄製爆弾です。着地の衝撃で内蔵のナパーム油脂が引火しながら飛び散る仕組みで、焦げ痕はこれによるもののようです。花崗岩の橋の路面には、M69の着弾でできた穴もいくつも発見できます。
●5 永代橋の上部構造の歪み(中央区・江東区)

隅田川に架かる永代橋のほぼ真ん中、上部アーチ構造の鋼鉄製フレームをよく見ると、東京大空襲で投下されたM69が直撃し、大きく凹んだ部分が確認できます。
●6 旧松永橋(江東区佐賀~福住)
大島川西支川に架かる松永橋は、1996(平成8)年に架け替えられたものですが、先代の旧松永橋は、1929(昭和4)年竣工の「震災復興橋梁」で、鋼材を三角形に組んだワーレントラス橋でした。
その鋼材部には、米軍機が搭載する12.7mm機銃の掃射で開けられた貫通痕が数か所ありました。現在その一部は保存され、松永橋の東詰北側にオブジェとして飾られています。
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