32年間の短命で終わった鉄道、付けられた「ヒドすぎる」愛称とは? それでいいの!?
JR中央本線と身延線が乗り入れる山梨県の県庁所在地・甲府市では、63年前までは民間企業の電車が走っていました。新造車両を導入した利便性の高い鉄道だったものの、地元の利用者らが付けた愛称は「ヒドすぎる」ものでした。
あの時は「チョコ電」だった
この車両は“再々就職先”となった神奈川県の江ノ島電鉄で「801」に改番され、晩年は外観をチョコレート色とクリーム色のツートンカラーに塗られて「チョコ電」と呼ばれていました。

当時は小学生だったため気になりませんでしたが、車外から観察すると全長13.8m、全幅2.3mの車体が小さく見えます。乗務員室の空間も狭く、「運転士は乗務時にかなり窮屈だったのではないだろうか」と想像しました。
そして面白いのは、3枚窓があるだけでのっぺりした後部の妻面です。すぐ後ろの側面にある細いドアが、この形状に変わる前の歴史を偲ばせます。
ヒドすぎる愛称…しかし「公認」!
山梨交通電車線は第二次世界大戦末期の1945年7月の甲府空襲で被爆しても、59年の2度の台風で施設が大打撃を受けても、そのたびに立ち直り、廃線になるまで甲府都市圏の足として大車輪の活躍を見せました。
にもかかわらず、利用者らが授けた“称号”はヒドいものでした。何と「ボロ電」の愛称で呼ばれていたのです。
一見すると“黒歴史”のようですが、山梨交通はこの愛称を「公認」して歴史の一コマとして喧伝しています。開業から90年を迎えた2020年に甲府市・貢川(くがわ)地区の廃線跡に建てた記念碑にも「『ボロ電』と呼ばれ親しまれた」と明記しています。
山梨交通は、「ボロ電」と呼ばれた理由として「鋼板車体の新車を導入したにもかかわらず、駅舎が古かった」ことや、「多くの駅が無人駅で簡素な施設だった」ことなどを挙げています。
「鉄印」を瓶から取り出すと、こちらにも「『ボロ電』と親しまれた旧山梨交通電車線 甲府駅前駅」と毛筆体で綴られていました。廃止から今年で63年になりますが、「ボロ電」という耳目を引く愛称をあえて語り継ぐことで人々の記憶に残り、顕彰されれば「御の字」なのかもしれません。
Writer: 大塚圭一郎(共同通信社経済部次長・鉄旅オブザイヤー審査員)
1973年、東京都生まれ。97年に国立東京外国語大学フランス語学科卒、共同通信社に入社。ニューヨーク支局特派員、ワシントン支局次長を歴任し、アメリカに通算10年間住んだ。「乗りもの」ならば国内外のあらゆるものに関心を持つ。VIA鉄道カナダの愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員。
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