日本じゃ知名度ゼロ「長靴の国」から来た超名門メーカー“七転び八起き”の歴史とは?

2「第52回東京モーターサイクルショー」に、とあるイタリアメーカーが二輪車を展示していました。歴史ある名門ながら日本ではほぼ無名のメーカーが辿った、紆余曲折の歴史を振り返ります。

1950年代のレースで活躍! 伝説のイタリアンブランド

 東京ビッグサイトを会場に、2025年3月28日(金)~30日(日)にかけて開催された「第52回東京モーターサイクルショー」に、数少ないイタリアメーカーとして参加したのが、数多くの伝説を持つ名門メーカーのF.Bモンディアルです。

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「第52回東京モーターサイクルショー」のF.Bモンディアルブースに展示される「HPS125」(手前)と「フラットトラックレーサー125」(山崎 龍撮影)。

 ただ、名門とはいえ日本ではほぼ無名といえる同社。それもそのはず、ブランドとしては1970年代後半に消滅し、その後20年あまりにわたって姿を消していました。では、どのような経緯で復活し、日本に再上陸を果たすまでに至ったのでしょうか。改めて流れを追ってみましょう。

 ボゼリ兄弟によって1929年にミラノで設立されたF.Bモンディアルは、当初はGD社(当時)やCM社(同)からOEM供給を受けたバイクを中心に販売する1ブランドでしたが、やがて三輪トラックの製造販売に乗り出し、第二次大戦後の1948年にオートバイ部門を設立して、高性能な小・中排気量バイクの開発に着手します。

 そして、1949年に誕生した「125ビアルベロ」は、単気筒DOHCエンジンの心臓が与えられ、当時としては驚異的な性能を持つ小型軽量なバイクとなりました。このモデルから派生したレーサーは、黎明期のMotoGP(ロードレース世界選手権)に参戦し、ネッロ・パガーニやカルロ・ウッビアーリなど6人の世界チャンピオンを輩出します。

 しかし、レースの参戦費用がやがて経営を圧迫するようになると、1957年にモト・グッツィやジレラとともにMotoGPからの撤退を発表。このとき、入れ替わりでMotoGPへ参入しようとしていたホンダに125ccレーサーを参考用に1台譲るとともに、レーシングガレージやパーツメーカーなどを紹介。ホンダ参戦のアシストをしました。

 1960年代になると関連会社が倒産したことにより、F.Bモンディアルは高性能車の生産が難しくなると、50ccのミニバイクを中心に生産を続けていましたが1978年に事業を停止。これにより、会社は一時解散します。

【ホンダ製エンジンを搭載】たった150台のみ 激レア「モンディアル」です(写真)

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