「ヤマハが作った“トヨタの名車”」 え?どういうこと?
トヨタの歴史を語るうえで欠かすことのできない名車が、トヨタ2000GTです。1965年に登場した同車は、当時最上級の高性能スポーツカーであり、現在でも語り継がれる存在ですが、実は「ヤマハ」の歴史上も重要な存在です。
日本のクルマ史に残る名車の意外な歴史
トヨタの歴史を語る上で避けて通れない名車、それが1965(昭和40)年に登場したトヨタ2000GTです。当時としては真新しかったDOHCエンジンや4輪ディスクブレーキなどを搭載したスポーツモデルで、最上級の高性能車として大いに注目を浴び、今なお語り継がれる名車中の名車です。

ただし、その開発秘話をたどると意外なエピソードもあります。トヨタ2000GTは「トヨタの名車」でありながらも、開発の一部を実はヤマハが担っていたという事実です。
1965(昭和40)年9月、トヨタとヤマハの間で「スポーツカー開発に関する技術提携」の契約が交わされましたが、実はその前年の暮れには、すでに両者間でトヨタ2000GTの開発協力プロジェクトがスタートしていました。このプロジェクトでの役割分担は主に、トヨタ側が全体のコンセプト、レイアウト、デザイン、基本設計などを行い、ヤマハ側はエンジンの高性能化、車体やシャシーの細部設計でした。
当時のヤマハの開発チームは平均年齢30歳前後で、若さゆえの強い情熱を持っていたものの、トヨタ側のチームに比べれば、はるかに知見や経験が乏しかったと言います。そこでヤマハの開発チームが取り組んだのは、自社がこれまで培ってきた技術を生かしたユニークな取り組みでした。
トヨタが提示した基本設計をベースにまず原寸大の図面を作り、これをベースに板金用の木製グリッドを作成。さらにボンネットなどは、ヤマハがボート製造で得た知見を流用し、FRP(繊維強化プラスチック)で見本を作成しました。さらに、夏季には高温となる車内でも内装の天然木にヒビ割れなどを生じなくする対策には、ヤマハが楽器作りで培った木工技術を駆使したのです。
また、トヨペットクラウンに搭載されていた2000cc直列6気筒エンジンのDOHC化も、ヤマハの開発チームが担当しました。それにしても、なぜヤマハだったのでしょうか。
コメント