「ヤマハが作った“トヨタの名車”」 え?どういうこと?

トヨタの歴史を語るうえで欠かすことのできない名車が、トヨタ2000GTです。1965年に登場した同車は、当時最上級の高性能スポーツカーであり、現在でも語り継がれる存在ですが、実は「ヤマハ」の歴史上も重要な存在です。

夢をくすぶらせていたヤマハ

 実はヤマハでは、四輪市場進出の機会を狙っていた時代があり、世界初の全アルミ製エンジンなども実現していました。しかし、一時経営難に陥ったこともあり、莫大な資金を投入したにもかかわらず四輪市場進出の機会を断念しています。

 後に、ヤマハは日産との提携による四輪開発を行い、1964(昭和39)年にはダットサンクーペ1500が発売されました。さらなるスポーツカーの開発も進めていましたが、同年に日産の事情で提携が解消していたのです。

 そうしたなか、開発途中で頓挫したスポーツカーの件をヤマハがトヨタに相談します。同時期、トヨタではトヨタ2000GT開発を進めており、ここで両社のニーズが合致。ヤマハが当初日産と開発を進めていたスポーツカーではなく、トヨタ2000GTの提携による開発を進めることになりました。

「もしヤマハが協力してくれなかったら…」

 こういった経緯を経てトヨタ2000GTは、1965(昭和40)年の「東京モーターショー」で初お見え。後にヤマハが「1台1台手作りで生産する」スタイルで、1967(昭和42)年に市販化されました。

 この市販化に際して、トヨタの完成検査の基準が厳しく、ヤマハ側はなかなか合格することができなかったと言われています。その問題点の一つひとつを解決することで、同時にヤマハはその技術力、安全性を高めることにもつながりました。

 一方、当時のトヨタ側は「もしヤマハが協力してくれなかったらトヨタ2000GTの実現は難しかったであろう。ヤマハは良い意味で四輪に関して白紙だったから喜んで受けてくれたのかもしれない。ヤマハはスポーツカーのために社内の優秀な人材を集めてくれただろうから、技術的なポテンシャルも高かったと思う」と述べており、両社が持つ技術や情熱の元で誕生したのがトヨタ2000GTと言って良いでしょう。

 トヨタとヤマハが両社の垣根を超えて開発されたトヨタ2000GTは、スピードトライアルで3種目の世界記録を樹立し、13種目では国際新記録を樹立しました。長いモビリティ史の中でも、なんともドラマチックなストーリーを持つトヨタ2000GTは、伝説的スポーツカーとして長らく語り続けられてきました。

 近年では、スーパーレプリカモデルが発売されたほか、2025年中にはトヨタとBMWの共同開発によって完全復活するニュースも話題になっています。

 また、ここ数年の再注目に際し、デアゴスティーニから組み立てキットが発売されたり、関連グッズなどが発売されたりと、さらにトヨタ2000GTに関するニュースが後を断ちません。こういった再注目に合わせて、トヨタとヤマハが力を合わせて60年前に誕生させたトヨタ2000GTの伝説と美談が、今後さらに語り継がれていくことを願うばかりです。

【超カッコいい!】これが「ヤマハが作ったトヨタの名車」です(写真)

Writer:

1971年、東京都生まれ。編集プロダクション・deco代表。バイク、クルマ、ガジェット、保護犬猫、グルメなど幅広いジャンルで複数のWEBメディアに寄稿中。また、台湾に関する著書、連載複数あり。好きな乗りものはスタイリッシュ系よりも、どこかちょっと足りないような、おもちゃのようなチープ感のあるもの。

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コメント

2件のコメント

  1. 2ページ目の写真が間違っています。

    写真はDATSUN(日産)シルビア(初代)でトヨタ2000GTではありません。

    • ご指摘ありがとうございます。記事を修正(画像削除)いたしました。