ドイツで誕生「第2次大戦の最優秀プロペラ戦闘機」なぜ原型と全然違う名称に? じつは “ご褒美” 的な意味合いか

第二次世界大戦末期にドイツ軍が開発・運用したTa152戦闘機は「レシプロ戦闘機の最高峰」と称される機体だったとか。どういった点が優れていたのか、その出自からひも解きます。

もし1年早く生まれていたら…

 Ta152の出自をひも解くには、時計の針を1942年に戻した方が良いでしょう。

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アメリカ空軍博物館で保存・展示されているFw190A戦闘機(画像:アメリカ空軍)。

 当時のドイツは、アメリカがのちにB-29「スーパーフォートレス」となる高高度飛行が可能な大型の爆撃機を開発中との情報を入手します。これを受け、ドイツ航空省はそれに対抗できる戦闘機の開発を指示しました。

 指示を受けたフォッケウルフ社は、Fw190をベースにした高性能の高高度戦闘機の開発に着手。もちろん、開発の責任者はFw190シリーズを生み出したタンク技師です。しかもそれまでの業績を評価され、手がけた機体に自身の名前を冠することが認められたため、実際にはFw190の進化型ながら、彼のイニシャルの「Ta」を付けてTa152とされたのです。

 Ta152に搭載されたエンジンは、Fw190D型と同じ液冷のJumo213シリーズのE型ですが、Fw190D型では1段2速だった過給機を高高度性能向上のため2段3速に改め、出力増強装置MW50も装着されました。そのおかげで、何タイプもの試作機(型)が造られたTa152シリーズの本格量産型であるTa152H-1では、プロペラ機ながら1万2500mもの高空で765km/hという高速を発揮しました。

 また、エンジン同軸に30mm機関砲を搭載するためと機体バランスの関係で、エンジンの換装によって機首が延長されたFw190D型よりもさらに機首を延長。そしてこの措置により、主翼の胴体への取り付け位置も前方に動かされています。その主翼も、高高度性能を向上させる目的で、細長い形状のものとされました。

 加えて、高空での飛行を考慮してコックピットは与圧室となっています。

 こうして生まれたTa152は、一見するとFw190D型と似た外観ながら性能は別モノで、実用上昇限度高度1万4800mという優れた高高度飛行能力を獲得していました。

 しかし残念なことに、この「実用レシプロ戦闘機の最高峰」は、登場の時期があまりに遅すぎました。試作型や増加試作型などに続いて量産型Ta152H-1の本格運用が始まったのは、ドイツ敗戦わずか4か月前の1945年1月。生産機数も、たかだか60数機(生産機数には約150機など諸説あり)と少ないものでした。

 とはいえ、終戦直前にタンク自身が操縦桿を握ったTa152が、2機のアメリカ軍P-51「マスタング」戦闘機に追尾された際、前出の出力増強装置MW50を作動させ、一気に引き離して離脱したと伝えられます。もし1年ほど早く本機が実戦配備されていたなら、ジェット戦闘機との連携なども含めて、ドイツ本土防空戦の様相は、ドイツにとってはるかに有利なものになっていたかも知れません。

【世界に1機だけ!】これが現存する唯一のTa152です(写真)

Writer:

東京・御茶ノ水生まれ。陸・海・空すべての兵器や戦史を研究しており『PANZER』、『世界の艦船』、『ミリタリークラシックス』、『歴史群像』など軍事雑誌各誌の定期連載を持つほか著書多数。また各種軍事関連映画の公式プログラムへの執筆も数多く手掛ける。『第二次世界大戦映画DVDコレクション』総監修者。かつて観賞魚雑誌編集長や観賞魚専門学院校長も務め、その方面の著書も多数。

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