特急も線路すらも消えた“新幹線ショック”から28年 日本屈指の人気駅弁“驚きの新商品”を開発中! 今は高速道路が主戦場

駅弁フェアの常連となっている日本屈指の人気駅弁の開発元で、販路拡大に向けて「新商品」の開発を進めていることが分かりました。

大幹線から一夜にして「行き止まり線」に転落 でも先手を打っていた

 筆者は幼少期の夏休みに親類宅へ向かうため、当時は在来線特急だった「あさま」(上野―長野・直江津)や、夏の行楽期に走っていた特急「そよかぜ」(上野―中軽井沢)に乗って上野から中軽井沢へ行く途中、横川駅のホームで昼食用に「峠の釜めし」を買うのが定番でした。出発する際に車窓をのぞくと、荻野屋の販売員が深々とお辞儀をしていたのを覚えています。

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横川―軽井沢間の碓氷峠を通る列車に補助機関車として連結していた電気機関車EF63。軽井沢駅に展示されている(大塚圭一郎撮影)

 しかし、横川の長時間停車という商機を捉えた「峠の釜めし」に、大きな試練が訪れます。1998年長野冬季オリンピックの前年、97年10月に高崎―長野間で部分開業した北陸新幹線(当時の通称は長野新幹線)です。

 これに伴って9月末をもって信越本線横川―軽井沢間の運行が終わり、この区間を走っていた特急「あさま」や、上野―金沢間の特急「白山」などは廃止されました。横川は一夜にして事実上のローカル線の終着駅に転落し、高崎と結ぶ普通列車が1時間にほぼ1往復するだけになりました。

 ただ、この事態を見越して荻野屋は先手を打っていました。1991年に軽井沢駅構内へ出店し、93年には上信越自動車道の上り線に「横川サービスエリア店」を開業するなどしていました。浦野部長は「荻野屋で現在売り上げ規模が一番多いのは横川サービスエリア店です」と説明します。

 さらに、成長余地が大きい販売先として目を付けたのが一大市場の首都圏でした。2017年4月に東京・銀座6丁目にオープンした複合商業施設「GINZA SIX」に東京都内最初の店舗をオープン(現在は閉店)し、19年12月には東京都杉並区に工場と店舗を備えた「荻野屋八幡山」を開設しました。

 これにより「峠の釜めし」を調理するのは横川製造工場(安中市)、諏訪製造工場(長野県諏訪市)、荻野屋八幡山の3か所に。浦野部長は「首都圏の店舗や催事で販売する商品は主に八幡山で作っていますが、多くの個数が必要な場合などには横川製造工場から出荷することもあります」と話します。

【ヤバイ!超懐かしい…!】これが誕生当初の「峠の釜めし」です(写真)

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