デザイン良し! 運転性も優秀だった「天才タマゴ」のミニバンなぜ消えた? 特異なエンジン配置がもたらした功罪
革新的なミッドシップレイアウトを持つミニバンとして生まれた初代「エスティマ」は、人気を博したにも関わらず、その特徴的なメカニズムは2代目、3代目に受け継がれることはありませんでした。それは一体なぜだったのでしょうか。
ミニバンとして良いこと尽くめだったんじゃないの?
こうした要望に応えるカタチで、1992年にトヨタが世に送り出したのが「エスティマ」をベースにサイズダウンした派生型、「エスティマ エミーナ」と「エスティマ ルシーダ」です。この2台は細部の意匠が異なるだけの双子車で、前者はトヨタ店、後者はカローラ店で販売されました。

一見すると「エスティマ」に似ていますが、その違いはボディサイズだけではありません。新車価格を抑えるために量販グレードのリアサスペンションをリジットアクスルに変更するなど、コストダウンが図られた点も違いのひとつです。また、MT(マニュアル・トランスミッション)やディーゼルエンジンの設定があったことも「エスティマ」との差別化ポイントでした。
ただ、初代「エスティマ」シリーズはデビュー時こそ好調だったものの、ライバル各社が相次いで3ナンバーサイズのミニバンを登場させると、次第に販売の勢いを失っていきます。それでも熱心なファンに支えられ、当時のトヨタ車の中では10年という異例に長いロングセラーモデルとなりました。
しかし、2000年1月に「エスティマ」が2代目にモデルチェンジすると、ワンモーションフォルムこそ継承されたものの、メカニズムはカムリから流用された凡庸なFF(フロントエンジン・フロント駆動)ミニバンへと変更されます。なぜ、初代「エスティマ」はその最大の個性であるミッドシップレイアウトを捨てたのでしょうか。
最大の理由は、その特異な設計により、ライバル車のような3~3.5リッタークラスのV6エンジンを搭載できないことにありました。日本市場でもパワー不足が指摘されていましたが、「プレヴィア」の名称で輸出されていた北米市場では、大排気量のV6エンジンの人気が高く、「エスティマ」の販売は苦戦を強いられます。その結果、彼の地では日本よりひと足早く、1997年にFFレイアウト+V6エンジンの「シエナ」に代替されています。
初段発売時のキャッチコピーは、「突然エスティマ」だったような。
天才タマゴは、このマイナーチェンジ版の時のものではないですかね?
夏木マリさんのナレーションで「トヨタの天才タマゴ。」のテレビCMを覚えています。
初代に回帰させる形で作るとなると現行で使えるシャシーはハイエースかタウンエースか。
先代タウンエース(最終型タウンエースノア)の開発がエスティマエミーナ/ルシーダにボンネット追加でエンジン搭載してテストしたことを考えるとタウンエースをベースに据える形。
全長はかなり伸ばせるし伸ばした分安全性と三列目までゆったり座れる室内長をとれるし、幅側は安全性と内装の質感向上に振ることでアルファード程太い外寸を採らなくて済みそう。
現行ノアヴォクとの競合だけど、アルヴェル含めあっちは大陸向けにしてエスティマは国内向け最上級の位置付けにすればある程度は売れそうではある。
リジッドで最上級?!ってツッコミはありそうだけど直進性高い方が疲れないし、いろいろ狙い過ぎた足より判りやすくて楽しいし。
エステマがデビューした夏休み、こっちは非力なアコード1800で関越トンネル追い越し車線を新潟に向かってました。
その時、後方から迫るミニバンが出たばかりのエステマと直ぐ判った。左車線はトラックで混んでたので、そのまま速度を上げてやり過ごそうと思ったが、一向にエステマを引き離せない。160㌔はアコード1800の限界だったので、左車線に戻った。
その横をトンネルを抜け下りになった追い越し車線を、180㌔くらいで飛ばして行った強烈な印象がある。
開発当時から水平対向エンジンは検討されていたらしいですが、当時のトヨタにあったのは2U型800cc水平対向二気筒エンジン。これを水平対向六気筒にするのは難しいでしょうね。