デザイン良し! 運転性も優秀だった「天才タマゴ」のミニバンなぜ消えた? 特異なエンジン配置がもたらした功罪
革新的なミッドシップレイアウトを持つミニバンとして生まれた初代「エスティマ」は、人気を博したにも関わらず、その特徴的なメカニズムは2代目、3代目に受け継がれることはありませんでした。それは一体なぜだったのでしょうか。
MRレイアウトを採用した革新的なミニバン
1990年に登場した初代トヨタ「エスティマ」は、ワンボックスカーとしては珍しいミッドシップ(MR)レイアウトを採用しており、それ以外にも優れた長所をいくつも持っていたことから「運転の楽しい」ミニバンとして人気を博しました。しかし、その革新的なメカニズムは次代以降の「エスティマ」はもちろん、他のミニバンに受け継がれることなく終わっています。それは一体なぜだったのでしょうか。

そもそも、エスティマの原型は1989年に開催された第28回東京モーターショーにさかのぼります。この時に出展されたコンセプトカーが、半年後の1990年5月に販売を開始。こうして生まれた最初のエスティマは、135馬力を発揮する直列4気筒エンジンをフロア中央下に75度傾けて搭載し、ボディ形状には斬新なワンモーションフォルムを採用するなど、当時としては革新的なミニバンでした。
キャッチコピーは「天才タマゴ」。多人数乗車を前提にしたクルマでありながら、ハンドリング性に優れ、フロントノーズにはクラッシャブルゾーンを備えたことで当時としては高い安全性を持つなど、それまでの商用バン派生のワンボックスカーとは一線を画した、いかにも乗用車然としたミニバンに仕上がっていました。
なお、デビュー時の「エスティマ」は、2列目にキャプテンシートを採用した7人乗り仕様の設定しかありませんでしたが、1993年にベンチシートの8人乗り仕様が追加され、1994年にはユーザーの「パワー不足」という声に応えるカタチで、160馬力仕様のスーパーチャージャー搭載モデルがラインナップに加わっています。
また、初代「エスティマ」は全長4750mm×全幅1800mm×全高1780~1820mmのいわゆる3ナンバー車として誕生していますが、小型車サイズの5ナンバー車に慣れていた一部ユーザーから、「サイズが大き過ぎる」といった不満の声が挙がっていました。加えて全国の販売店からは、新車価格の安さで人気を集めていた日産「セレナ」への対抗馬となる5ナンバーサイズのミニバンの登場が求められていました。
初段発売時のキャッチコピーは、「突然エスティマ」だったような。
天才タマゴは、このマイナーチェンジ版の時のものではないですかね?
夏木マリさんのナレーションで「トヨタの天才タマゴ。」のテレビCMを覚えています。
初代に回帰させる形で作るとなると現行で使えるシャシーはハイエースかタウンエースか。
先代タウンエース(最終型タウンエースノア)の開発がエスティマエミーナ/ルシーダにボンネット追加でエンジン搭載してテストしたことを考えるとタウンエースをベースに据える形。
全長はかなり伸ばせるし伸ばした分安全性と三列目までゆったり座れる室内長をとれるし、幅側は安全性と内装の質感向上に振ることでアルファード程太い外寸を採らなくて済みそう。
現行ノアヴォクとの競合だけど、アルヴェル含めあっちは大陸向けにしてエスティマは国内向け最上級の位置付けにすればある程度は売れそうではある。
リジッドで最上級?!ってツッコミはありそうだけど直進性高い方が疲れないし、いろいろ狙い過ぎた足より判りやすくて楽しいし。
エステマがデビューした夏休み、こっちは非力なアコード1800で関越トンネル追い越し車線を新潟に向かってました。
その時、後方から迫るミニバンが出たばかりのエステマと直ぐ判った。左車線はトラックで混んでたので、そのまま速度を上げてやり過ごそうと思ったが、一向にエステマを引き離せない。160㌔はアコード1800の限界だったので、左車線に戻った。
その横をトンネルを抜け下りになった追い越し車線を、180㌔くらいで飛ばして行った強烈な印象がある。