怪しいほどカッコ良かった“日本初のメーター” 新技術ぎっしり革命車「ソアラ」なぜ人知れず消えてしまったのか?
日本初のデジタルメーターを採用した「ソアラ」は、トヨタが海外市場を意識し、新機軸を多く採用して登場しました。後年はレクサスブランドに組み込まれたものの、その戦略故に支持を失っていった歴史も持ち合わせます。
海外戦略を見越して開発されたソアラ
実はソアラ開発に至った背景には、トヨタが海外市場で味わった苦い経験があったと言われています。

1970年代、日本車はアメリカやヨーロッパ市場に多く輸出されましたが、評価を得たのは小型の大衆車ばかり。言い換えれば、当時の海外市場で日本車は「下駄車」のように見られていた面もあり、こういった影響でトヨタの高級車としての日本車もなかなか支持を得ることができなかったのです。
そんな中で国内外の自動車市場にインパクトを与えるべく開発されたのがソアラで、当時最新のデジタル機能をふんだんに搭載させたというわけです。結果的にソアラは国内市場では高級セダンとしては圧倒的人気を誇り、同じ車格のクラウンの2ドアモデルが生産終了に追い込まれるほどの成功を収めました。
そして「レクサス」へ
こうしてセンセーショナルに登場したソアラを、筆者の父も迷わず買ったのだと思いますが、初代登場から5年後の1986年にはフルモデルチェンジを迎えます。
カクカクとした初代のデザインを洗練させ、2代目は随所に曲線を取り入れるなどしたデザインに刷新。ちょうどバブル景気だったこともあり、5年間で30万台以上を売り上げる大ヒットモデルとなりました。
そして、1991年には再びフルモデルチェンジが行われます。この3代目ソアラは、トヨタが北アメリカでスタートさせたレクサスブランドに加えるクーペとしても開発されたこともあり、初代や2代目とはまるで異なる丸みを帯びたデザインが採用されました。この影響からか、「日本国内でのソアラファンは3代目の登場で一気に離れた」と言われています。
レクサスとしての成功はさておき、このデザイン変更がソアラの人気に陰りをもたらし、結果としてソアラのモデル寿命を縮める要因にもなったのです。
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