「お、いいきっぷが出たな」 昭和の青春18きっぷ&周遊券“使い倒し旅”のリアル 私はこうして“ビンボー乗り鉄”にハマった
国鉄時代に登場した「周遊券」と「青春18きっぷ」は、若者たちの旅のスタイルを一変させました。1980年代に青春時代を過ごした“昭和ジジイ”の筆者が、かつての旅を振り返ります。
「東北ワイド周遊券」で今はなき鉄道へ
中学になると親に遠出を許されました。しかし、「東京ミニ周遊券」の範囲外を扱うフリーきっぷがありません。そこで「都区内~東海道線~御殿場線~身延線~中央本線」の一筆書ききっぷの旅や、友達を誘って「小湊鐵道~国鉄木原線(現・いすみ鉄道いすみ線)」を乗り継ぐ房総半島横断の旅に出かけたものです。もしも当時「青春18のびのびきっぷ」があれば、もっと安く旅ができたでしょう。だから「青春18のびのびきっぷ」が発売されたときは、行動範囲が広がると喜びました。
しかし、高校入学前の春休みには、「青春18のびのびきっぷ」ではなく「東北ワイド周遊券」を使いました。理由は「急いでいたから」。1980年に成立した国鉄再建法により、赤字ローカル線がいくつも廃止対象となり、「なくなる前に乗らなくちゃ!」と思ったのです。ワイド周遊券なら自由周遊区間内の急行と特急の自由席も乗り放題でした。「青春18のびのびきっぷ」を使い、普通列車でのんびり移動している場合ではありません。
「東北ワイド周遊券」の有効期間は10日間。この旅で初めて泊まりがけのひとり旅を許されました。このとき、旅行会社に勤めていた父の知人が旅館やホテルのクーポンを手配してくれました。中学を卒業したばかりの子どもですから、ホテルの予約ができないだろうという配慮だったのでしょう。大手旅行会社のクーポンだったおかげで、どこでも大人と同じ丁寧な対応でうれしかったものです。
東北の旅では、国鉄の21路線に乗りました。赤谷線、魚沼線、大畑線、黒石線、日中線など、現在廃止されている路線も含まれます。このほか十和田観光電鉄、南部縦貫鉄道、津軽鉄道にも乗りました。十和田観光電鉄では、子ども頃によく乗っていた東急3000系(初代)の中古車と“再会”し、懐かしい気持ちになりました。
発売前年に国鉄(当時)に就職しました。若かったこともあり全線乗車証は手に入りませんでした。それどころか、乗車証の利用可能区間も狭められてしまい「何のために国鉄に入ったんだ。」と心密かに激怒していました(当時、既にそんな状況ではなかったんですけど…。)。代わりに割引証(乗車券と料金が半額。ただし、寝台料金は割引不可。)はたんまり使えたので、青春18きっぷや当時のワイド周遊券(主に北海道)は何度も使いました。割引証は、本人用12枚と家族用20枚(家族用は扶養家族のみ可。)のため、一人で32枚全て使い切りました。仕事の関係上、世間一般が長期休暇の際(年末年始、GW、旧盆など)はせっせと出勤し、代休をオフシーズンに纏めて、当時の国鉄線を乗り倒しました(笑)。九州南部&西部と北海道の一部は手持ちが足りず乗れずじまいになりました。当時、「いい旅チャレンジ2万キロ」というキャンペーンをやっていたのですが、勿論、国鉄職員は対象外でした。そのせい?もあり、6年間勤めた国鉄を分割民営化の際に退職して、乗り鉄から足を洗いました。
余談ですが、還暦を過ぎた現在、すっかり出不精になってしまいました…。
70年代に学生だった私には、均一周遊券とユースホステルが旅の定番でしたが、ワイド周遊券やミニ周遊券の旅も経験した世代として、懐かしく読ませていただきました。
分割ちゅうスキームがある限り、じぇん国で使えるような割り引き切符は無理やな。
金の取り分でもめるさけ。