「お、いいきっぷが出たな」 昭和の青春18きっぷ&周遊券“使い倒し旅”のリアル 私はこうして“ビンボー乗り鉄”にハマった
国鉄時代に登場した「周遊券」と「青春18きっぷ」は、若者たちの旅のスタイルを一変させました。1980年代に青春時代を過ごした“昭和ジジイ”の筆者が、かつての旅を振り返ります。
夜行列車でサプライズプレゼント!?
「九州ワイド周遊券」での旅も夜行列車を宿代わりにしましたが、車内で2晩を過ごしたらビジネスホテルに1泊するペースに変えました。というのも、北海道での車内7連泊では、後半は眠くて景色の記憶が残らなかったからです。
北海道では、眠いまま予定の乗り継ぎをこなしていくだけの旅になっていました。九州の旅では3日に1度はホテルに泊まり、シャワーを浴びてしっかり眠りました。
当時、九州では門司港駅を発着する夜行列車がありました。門司港?西鹿児島(現・鹿児島中央)間は鹿児島本線経由の急行「かいもん」、日豊本線経由の急行「日南」、門司港?長崎・佐世保間は普通列車「ながさき」です。
私の常宿は「かいもん」と「日南」で、北九州の列車に乗ったと思えば、翌日は南九州の列車を楽しみました。客車は12系。四角いボックスシートでなんとか寝そべりました。「ながさき」には乗りませんでした。博多から特急で日帰りできたからかもしれません。
門司港行きの急行「日南」には強烈な思い出があります。西鹿児島?宮崎間では普通列車として運行していたため、始発の西鹿児島から乗ると、帰宅する通勤客で混雑していました。ボックス席を独り占めできず、向かいの席には酔っ払ったおじさんが座りました。しばらくすると、そのおじさんが大声で私に話しかけました。
「おいっ、少年!」
私は「はいっ」と返事をしつつも、松本零士の『男おいどん』みたいな呼び方だな、と思っていました。すると酔ったおじさんは、「君も飲まんか」と緑色の瓶を差し出します。
「いや、僕はまだ飲めないので……」と断っても「そんなことでどうするッ、いいか、私は次の都城で降りるッ。だからこれはおまえにやろう」と言い、私に瓶を握らせて降りてしまいました。
瓶には霧島と書いてありました。フタを開けると強烈な匂い。芋焼酎でした。好奇心で舐めてみましたが、そのままでは強すぎて飲めないし、コーラで割ってもオレンジジュースで割っても匂いが抜けません。大人になってからまた試そうと、自宅まで持ち帰りました。
今思えば、あのおじさん、酒を持って家に帰れなかったのでしょう。きっと奥さんに怒られます。あれだけ酔っていたらどっちにしても怒られそうですが。
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