衝撃!!「日本一のオンボロ駅」に行ってみた 一時は立入禁止も“復活” 「ほんものの古さ」がここに!?

建物はゆがみ、柱が曲がり、ツタが絡まる駅舎――「日本一のオンボロ駅」と呼ばれることもある駅が存在します。実際に見に行くと想像を超える衝撃的な状態でしたが、そこには人の気配と“ほんものの古さ”がありました。

これぞ「ほんものの古さ」「歴史の重み」

 現役廃墟のような雰囲気と引き換えに得ているのが、「歴史の重み」と「ほんものの古さ」です。

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2面2線の崎山駅を発つ、平成筑豊鉄道の400形。写真の車両(411)は「ちくまるLINEスタンプ号」(遠藤イヅル撮影)

 例えば、駅舎側のサッシ類はすべて木製のまま。古い駅舎でもアルミサッシへの交換が昭和中期頃から進められていたケースは少なくないため、小刻みに桟を入れた扉や窓はレトロ感を格段にアップさせています。今やすっかり姿を消した木造のトイレや、鉄の棒で組まれた鉄柵の改札口なども、往時の様子を伝えてくれるアイテムです。

 木造駅舎や古くからある駅は数あれど、ここまで整備・更新されていない駅はもはや珍しい存在ではないでしょうか。ホームには黄色い点字ブロックの設置もなく、まるで昭和中期にタイムスリップしたような気持ちになりました。

 この崎山駅、話題となるのはそのオンボロ具合だけではありません。構内踏切を渡って反対側のホームに立って駅舎を見てみると、異なる建物がつながったような変わった構造をしていることに気がつきます。これは、崎山駅の歴史が大きく関係しています。

駅の歴史を反映している「おかしな建築」

 崎山駅は当初、列車の交換を行うための「崎山信号場」として1954(昭和29)年に開設され、2年後の1956(昭和31)年には崎山駅として開業した経緯を持ちます。そのため、現在でも交換設備を用いて列車交換が行われています。

 平成筑豊鉄道田川線はもともと国鉄およびJR九州の田川線で、国鉄時代には筑豊炭田で産出された石炭を輸送する重要な路線でした。崎山駅構内の線路がとても長いのは、長大編成の石炭貨物列車が行き来していた証です。

 ホーム側から見て駅舎向かって左側の窓が高く、信号場の建物っぽい姿をしているのはその名残ではないかと思われます。そして駅として開業した際、客扱いエリアを増設して現在の姿になったものと想像できます。建築年に大きな差がないため建て増し自体に違和感はなく、駅入り口側から見ても一体の建物に見えますが、裏に回れば信号所の面影を残しているのは面白いところです。

 また、駅構内には「昭和39年3月 崎山駅浴場」という記載がある小さな建物や、フタがついた井戸のような構造物も残されており、この駅を蒸気機関車が行き交っていた最盛期、崎山駅が重要な拠点だったようすを偲ぶことができます。

【衝撃】これが「日本一オンボロ」と言われる駅舎です(地図/写真)

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