日本一長い? 「赤」が6分30秒の道路信号機 誕生の背景に鉄道の歴史

近畿~北陸間の輸送で重要な存在だった柳ヶ瀬トンネル

 2016年現在、クルマとバイク用に供用されている(路線バスを除く大型車、歩行者、軽車両は通行止)柳ヶ瀬トンネルですが、もともとは官設鉄道の単線の線路として誕生。のちに福井駅や金沢駅、富山駅経由で近畿地方と北陸地方を結ぶ重要な鉄道路線、国鉄・北陸本線の一部になります。「単線」とは、かんたんにいうと線路が1本の状況で、線路が2本あり列車がすれ違えるものは「複線」といいます。

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地図中の赤い点線がかつての北陸本線(のちの柳ヶ瀬線)のルート。往時、北陸本線における難所のひとつで、蒸気機関車の乗務員は大変苦労したという(国土地理院の地図を加工)。

 さて、この柳ヶ瀬トンネルを含む区間は1882(明治15)年に開業しましたが、勾配が厳しく、北陸本線における輸送上のネックになっていたことから、1957(昭和32)年に長いトンネルをともなう新線(現在の北陸本線のルート)が開業。柳ヶ瀬トンネルのある旧・北陸本線の線路は、柳ヶ瀬線という木ノ本駅(現・滋賀県長浜市)と敦賀駅(福井県敦賀市)を結ぶローカル線になりました。

 しかし柳ヶ瀬線の利用状況は思わしくなく、1964(昭和39)年に廃止。柳ヶ瀬トンネルは道路化され、列車の代わりに運転される国鉄バスの専用道路に生まれ変わります。これがのちに一般開放され、現在へ至っているのです。

 つまり柳ヶ瀬トンネルは元々、1本の線路を通すための「単線トンネル」として造られたため幅が狭く、クルマがすれ違える十分な幅がないことから、6分30秒もの赤信号が誕生した、というわけです。

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コメント

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4件のコメント

  1. はるか30年以上前にここを自転車で通ったことがあります、そもそも自転車では時間内に通り抜けられなくて、対抗青になったバスが進入してきて轢かれそうになった思い出があります。今でも恐怖の出来事として懐かしく思い出します。もちろん当方の若気の至り違法行為でした。

  2. かつて実話怪談本で紹介されていた。
    この信号,待たずに青で通ると必ず途中で幽霊に会うらしい。
    ある夜中に地元の人がトンネル前にやってくると,初めて青だったらしいが,噂を知っていたので止まって赤になるまで待とうとした。
    しかし,30秒で赤になるはずが何分待っても赤にならない。
    さすがにこれは変だと引き返そうとしたところ,後ろからもう一台やってきて,そこで信号がやっと赤になったという。
    その一台と次の青になるのを待って無事に通り抜けたという。
    幽霊も積極的に機械に干渉することがあるようだ。

  3. 広告が多過ぎて記事が読めません、レイアウトを根本から見直して下さい。

  4. かなり昔に見た東京都下の日原鍾乳洞に向かうトンネルがその方式でしたが今でもそうでしょうか。

    センサーで進入した車の台数を数えておき、反対側の坑道口でも数えて、すべての車がトンネルから出きったら、即座に反対側を緑信号にしたらどうでしょう。 
    時間間隔でおこなっていると車がトンネルの中で鉢合わせしないとも限りません。