パイロット最後の命綱「射出座席」 作り続け70年の老舗メーカー、7500人の命救う

友の死と命がけの実験を乗り越えて

 このたび救った命の数が7500を越えたマーチン・ベイカー社は、世界で最も信頼されている射出座席メーカーのひとつであり、かつ、その第一人者といえる存在です。

 元々は航空機メーカーであった同社が射出座席の研究、開発へ取り組むようになったのは、創業者のひとりであったヴァレンタイン・ベイカーが1942(昭和17)年、墜落事故により殉職してしまったことがきっかけでした。残されたもうひとりの創業者であるジェームズ・マーチンは友の死を悲しみ、ひとりでも多くのパイロットを救いたいと願うようになります。

 射出座席の実用化には、マーチン・ベイカー社のテストパイロット、バーナード・リンチの献身的な活躍が不可欠でした。彼は1946(昭和21)年、最初の試作モデルにおける空中射出試験を成功させると、そののち30回にわたりこの危険な「人体実験」へと志願。その貢献もあって1949(昭和24)年、最初の製品モデル「マーチン・ベイカーMk.1」は完成しました。

 こののち、マーチン・ベイカー社製の射出座席は改良が重ねられ、「Mk.6」以降は地上静止時に動作させても生還できるようになります。

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コメント

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2件のコメント

  1. このようにアメリカ軍は欠陥戦闘機で日本の空を飛び回り、たとえ墜落して市民が何百人なくなろうとパイロットは生きて、また欠陥戦闘機で飛び回るわけです。

  2. ロシアのズヴェズダのほうが0-0は実用化が早かったんでは
    あと、7500人目がどこの人だったかも気になるな