19世紀生まれ「京急“始まりの路線”」今後さらに変わる? 空から見える「4.5km支線」の過去と未来
京急の路線のなかでも最も距離が一番短く、本線とも直通運転をしない「大師線」。実はこれが京急始まりの路線です。「大師線」を駆け足で空中散歩しました。
さらなる地下化でルート大幅変更へ
ところで、大師線は明治の開業時、京急川崎~川崎大師間の線路の位置が現在と異なり、当時は旧東海道と生活道路、国道409号をなぞる道路との併用軌道でした。明治時代の地形図と現在を比較しても六郷橋付近など道路形状が変化しており、正確にはトレースできません。
当初の線形は、国道409号「大師道」と大師線が交差する「京急川崎(大)第2踏切」の箇所で直角に曲がり、大師道の併用軌道となって本町交差点で旧東海道へと左折。引き続き併用軌道となって六郷橋のたもとを“へ”の字に曲がり、現在線と並走する生活道路上に軌道がありました。
京急川崎駅は京急本線が高架化されましたが、大師線は地上ホームです。高架と地上を結ぶ線路は東側となり、多摩川に架かる六郷川橋梁(京急本線)付近の下り線から連絡線が分岐して、大師線につながっています。
さて、川崎大師駅より東側の駅は、東門前、大師橋(産業道路から改称)、小島新田と続きます。この区間は近年大きく変化し、東門前~小島新田間が2019(平成31)年に地下化されました。
大師線は4.5kmの区間に踏切が15か所存在し、周辺道路の渋滞も慢性化しています。川崎市と京急にとって踏切解消は長年の課題であり、市の資料によると1993(平成5)年に連続立体交差化事業の都市計画が決定され、その翌年に計画事業が認可。1期の(1)東門前~小島新田間と(2)鈴木町の先~東門前間、2期の京急川崎~東門前間の計3区間のうち、2期区間は国道409号と132号の地下を通る計画でした。
川崎市は社会経済状況の変化や費用対効果など検討し、2017(平成29)年に2期区間を事業中止し、1期区間は事業継続とする方針を固めました。(1)東門前~小島新田間には交通量著しい産業道路が交差し、2019(平成31)年に地下化されました。
残る(2)区間は事業継続ではあるものの、(1)区間運行開始後に新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受けて大規模事業の見直しと転換が迫られ、2021(令和3)年に工事着手の見送りが決まりました。建設資材などの値上がりによって事業費が膨らむため、事業の設計は変更されつつも、2025年現在事業認可は変更手続き中で、工事着手はこれからです。
大師線は、事業継続中の地下化工事が動き出せば大きく変化しますが、4両編成の1000形が行ったり来たりする姿は当面変わらないと思います。
Writer: 吉永陽一(写真作家)
1977年、東京都生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、建築模型製作会社スタッフを経て空撮会社へ。フリーランスとして空撮のキャリアを積む。10数年前から長年の憧れであった鉄道空撮に取り組み、2011年の初個展「空鉄(そらてつ)」を皮切りに、個展や書籍などで数々の空撮鉄道写真を発表。「空鉄」で注目を集め、鉄道空撮はライフワークとしている。空撮はもとより旅や鉄道などの紀行取材も行い、陸空で活躍。日本写真家協会(JPS)正会員、日本鉄道写真作家協会(JRPS)会員。
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