「鶴見線」も「京浜工業地帯」もルーツは台湾に!? 再発見される“つながり” 背景に日本のセメント王
京浜工業地帯は戦前に造成されましたが、実は海外には“元ネタ”とも言いたくなるような工業地帯が存在します。その背景には、同じ「生みの親」がいました。
京浜工業地帯や鶴見線の原型を作った“セメント王”
日本の三大工業地帯のひとつとして知られる「京浜工業地帯」は、東京から横浜市の沿岸部にかけて広がる、日本有数の工業地帯です。東京側は主に明治期に、川崎・横浜エリアは大正から昭和にかけて埋め立てられ、大規模な工業地帯が成立しましたが、実は海外にはその“元ネタ”とも言いたくなるような工業地帯が存在します。

京浜工業地帯といえば、一般にはやはり川崎・横浜エリアを指すことが多く、日本における大規模な埋め立て事業の先駆けとしても知られています。この地を切り開いたのは、日本最大のセメントメーカーである「太平洋セメント」の前身、浅野セメントを率いた実業家の浅野総一郎(1848~1930)です。
“セメント王”としても知られた浅野は、この地に近代的な臨海工業地帯を形成すべく、1913年頃から本格的な埋め立てと港湾整備に着手します。
1928年頃には、約150万坪もの埋立地が完成。前後してJR鶴見線の原型となる「鶴見臨港鉄道」をはじめ、交通網も整備されていきました。
以降、紆余曲折を経て京浜工業地帯は今日の姿になったのですが、実は、浅野は京浜工業地帯の事業に着手する直前の1912年、よく似た開発を海外で行っています。
それが、台湾・高雄の埋め立て地に築かれた工業地帯「哈瑪星(はません)」です。この哈瑪星の足跡を辿るため、筆者は高雄にある「高雄市立歴史博物館」の李文環館長のもとを訪ねました。
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