国道の超重要トンネル、実はもと“鉄道用”だった! しかも「峠の名前が違う」!? 3種のトンネルが通る交通の要衝
新潟と京都を結ぶ国道8号には、富山・石川県境に「くりから(倶利伽羅)トンネル」があります。実はこのトンネル、鉄道用トンネルを転用したもの。しかしそもそも、この場所は「倶利伽羅峠」ではありません。
道路→鉄道、そして鉄道→道路
この天田峠が拡幅整備された明治時代は、全国に鉄道網が張り巡らされていく時代でもありました。現在は北陸新幹線の開通で三セク化が進んだ旧北陸本線も、1880年代に建設がはじまり、1899年には天田峠の北側をトンネルで抜け、富山駅までの開業を達成しました。
ただこのとき作られたトンネルへは、富山県側からも石川県側からも勾配がきつく、補助機関車による牽引が必要で、輸送の障害となっていました。そのため、新たなトンネルが1941年に着工、太平洋戦争前後の中断を経て1955年に開通し、北陸本線(当時)の付け替えが行われ、輸送力の増強が実現したのです。
こうして旧鉄道トンネルは廃線となりましたが、このトンネルについて地元から「天田峠越えに代わるバイパスとしての活用」を求める声が上がりました。天田峠越えの国道8号は峠の両側に急カーブが存在し、また冬季には積雪でたびたび交通困難になるなど、自動車交通の時代には“難所”となっていたのでした。
こうした声を受け、国は1966年に「くりからバイパス」を着工し、トンネルについては拡幅工事を行ったのち、翌1967年に開通させました。これが現在の国道8号が通る、くりからトンネルです。
今も昔も交通の要衝
このくりからトンネルの効果は絶大で、時間のかかっていた天田峠越えはわずか2分に短縮されました。さらに大型車の通行も容易になったほか、冬季の積雪による交通障害からも解放されました。そしてくりからトンネルを通る国道8号は、現在も北陸自動車道と並び、富山県、石川県を行き来する自動車交通の大動脈となっています。その交通量は、北陸地方の県境部で最も多い1日2万台とされています。
しかし、開通から60年近くが経過したくりからトンネルは、幅員が狭く、歩道が未整備であること、大雨等による事前通行規制区間がトンネル前後に存在することなどから、新トンネルをつくる「俱利伽羅防災」の事業が進められています。これはくりからトンネルの北側、北陸新幹線の新俱利伽羅トンネルとのあいだに並行して、2車線のトンネルを含む延長3kmのバイパスを通す計画です。
一方、天田峠を通っていた旧国道8号は石川県道・富山県道286号に“格下げ”になりましたが、この県道、そして天田峠から“そもそもの俱利伽羅峠”に至る道は、かつての源平合戦の古戦場を訪ねる道、さらにはその俱利伽羅峠から砺波平野を一望する観光スポットとして、いまも人気を集めています。
また、くりからトンネルから富山県側の石動(いするぎ)駅、石川県側の俱利伽羅駅に至る廃線跡も、富山県道16号および石川県道286号をたどることで、往時をしのぶことができます。
Writer: 植村祐介(ライター&プランナー)
1966年、福岡県生まれ。自動車専門誌編集部勤務を経て独立。クルマ、PC、マリン&ウインタースポーツ、国内外の旅行など多彩な趣味を通し積み重ねた経験と人脈、知的探究心がセールスポイント。カーライフ系、ニュース&エンタメ系、インタビュー記事執筆のほか、主にIT&通信分野でのB2Bウェブサイトの企画立案、制作、原稿執筆なども手がける。





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