なぜP-38だけが「傑作機」になれた? 双発戦闘機が苦戦した時代の唯一の成功作 日本軍が「ペロ8」と呼んで油断した“双尾の悪魔”

第2次大戦中、各国で造られたものの性能的にはパッとしなかった「双発戦闘機」。その中で唯一、単発機と互角以上に渡り合ったのが米軍のP-38「ライトニング」です。なぜ同機は傑作機へと昇華できたのか、優れたメカニズムを紐解きます。

世界各国で双発戦闘機がブームになったワケ

 第2次世界大戦中、日本をはじめドイツやイタリア、アメリカ、イギリス、フランスなど各国そろって双発戦闘機を実戦投入しましたが、それらのうち単発戦闘機と互角に戦うことができたのはアメリカ製のロッキードP-38「ライトニング」だけで、他の機体は単発戦闘機にかないませんでした。では、逆に言うと、なぜ本機のみ「優等生」になれたのでしょうか。

Large 20260203 01

拡大画像

P-38「ライトニング」戦闘機(画像:アメリカ空軍)。

 そこを紐解くためには、そもそも双発戦闘機が生まれた経緯を振り返る必要があるでしょう。第1次大戦と第2次大戦の端境期、いわゆる「戦間期」と呼ばれる1920年代末から1930年代は、飛行機が急速に発展した時期でもありました。

 特に敵国を直接攻撃できる爆撃機の性能向上は著しく、「戦闘機よりも速い爆撃機」といったキャッチフレーズを持つ機種まで登場したほどです。ただ、こうした爆撃機の高性能化は、それを護衛して長距離飛行が可能な戦闘機を要求することにも繋がりました。

 しかし、当時は航空機用エンジンも発展の最中で、まだ1000馬力級のエンジンが主流でした。そこで考えられたのが、自国の領空に侵入した爆撃機を迎撃するため短時間で高高度まで上昇できたり、長距離飛行を可能としたりするため、燃料を大量に搭載できる大型の機体を備えながら、「力不足」の当時のエンジンを補うべく、双発化された戦闘機です。

 こうした流れから、各国では双発戦闘機の開発が盛んになったのです。そのようななか、アメリカ陸軍航空隊は1937年1月、双発の高々度迎撃戦闘機の開発を、国内の航空機メーカー各社に打診します。

 これに応じたメーカーの中にロッキード社がありました。同社は後年、「最後の有人戦闘機」と称されたF-104スターファイターや、「世界最高空を世界最高速で飛ぶ実用型航空機」と称されたSR-71ブラックバードなどの傑作軍用機を生み出しますが、当時は、まだ一度も軍の戦闘機を手掛けたことのない新興企業でした。

【写真】え、操縦はハンドル!? これがP-38のコクピットです

最新記事

コメント