なぜP-38だけが「傑作機」になれた? 双発戦闘機が苦戦した時代の唯一の成功作 日本軍が「ペロ8」と呼んで油断した“双尾の悪魔”

第2次大戦中、各国で造られたものの性能的にはパッとしなかった「双発戦闘機」。その中で唯一、単発機と互角以上に渡り合ったのが米軍のP-38「ライトニング」です。なぜ同機は傑作機へと昇華できたのか、優れたメカニズムを紐解きます。

双胴型だったからこそのメリットとは?

 ロッキード社は、陸軍航空隊からの要請を受ける1年ほど前から、設計主任にホール・ヒバート、助手には後年、アメリカ屈指の航空機設計の鬼才として知られることになるクラレンス“ケリー”ジョンソンを登用して、社内名称で「モデル22」と称された双発高速機開発計画に着手していました。そこで陸軍航空隊は1937年2月、同社に性能仕様書「X608」を交付し、モデル22の開発を正式に進めることにします。

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アメリカ空軍博物館に保存・展示されているP-38L「ライトニング」戦闘機。L型はシリーズ最多の3923機が生産された型式(画像:アメリカ空軍)。

 これを受け、ロッキード社ではモデル22に対して実に6種類もの機体デザインを考案・検討しますが、その中で最後まで残ったのが双胴型でした。

 迎撃戦闘機は、優れた上昇力に加えて高々度を高速で飛行しなければならず、そのためにはターボ過給機が必要となりますが、双胴型ならエンジン直後の胴体内にターボ過給機を組み込むのが容易です。

加えて双胴型は、中央に設けられた胴体の機首部分に機関銃・砲を集中配置することができるため、敵の大型爆撃機を落とせるだけの大火力を装備することが可能でした。しかも通常の双発型と比べて、双胴型は空気抵抗を大きく抑えることができるメリットもありました。

 特筆すべきは、戦前の設計にもかかわらず、大戦中は日本が実用化できなかったターボ過給機の装着を、将来的な予定ではなく既定の事実としている点です。

 1937年6月23日、モデル22は制式化への第一歩を踏み出してP-38「アトランタ」と命名されました。ちなみに、今日知られているP-38の愛称である「ライトニング」は、本機の供与を受けたイギリス空軍が付与したもので、アメリカでも1941年8月以降はこの愛称で呼ばれるようになりました。

【写真】え、操縦はハンドル!? これがP-38のコクピットです

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