日本じゃまずムリ!? 「自分で造った飛行機で…」半世紀前にあった“驚愕フライト” ただパイロットは「え?」 背景には「航空産業の差」
50年前、自ら設計・製作した飛行機で太平洋を横断し日本へやってきた人物がいました。GPSもない時代に成し遂げられたこの快挙と、彼が日本の空に感じたこと、そして半世紀経った今も変わらない課題とは何なのでしょうか。
50年経っても変わらぬ日本の空 航空先進国との「決定的な差」
メルモスによる日本訪問から50周年を迎えるにあたり、ギャリソン氏から日本の飛行機愛好家に向けてメッセージが寄せられました。「私は飛ぶことの素晴らしさを皆さんと共有したいと希望しています。皆さんが美しい日本の空を楽しむことができるようになっていればよいのですが、そうでない場合はアメリカに来て飛んでください。」
残念ながら、半世紀も前にギャリソン氏が日本の空港で感じたことは、2026年現在でも変わっていません。国内で航空機産業の育成を目指すのであれば、この問題への取り組みは避けて通れない課題であると筆者は感じています。
諸外国では、自作航空機はキットを組み立てた機体を含めて「実験航空機」と呼ばれています。アメリカだけで2万機以上の実験航空機が登録されており、毎年およそ1000機が新たに登録されているという数字もあります。この分野は、航空宇宙産業全体を底から支える重要な役割を果たしていると認識されています。
ちなみに、日本では実用機として使用できない実験航空機ですが、外国籍の実験航空機は日本国内であっても実用機として運航できるという法的矛盾も存在しています。
実験航空機を取り巻く環境の内外差を見ると、世界屈指の工業力を持っているはずの日本の能力が、半世紀以上も遅れた法律と行政によって阻害されているといえるのではないでしょうか。
Writer: 細谷泰正(航空評論家/元AOPA JAPAN理事)
航空評論家、各国の航空行政、航空機研究が専門。日本オーナーパイロット協会(AOPA-JAPAN)元理事





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