長野新幹線開業に貢献 E2系「あさま」車両、2017年3月で引退 碓氷峠、境界を克服

長野新幹線が持つ課題を克服し、その開業に貢献、オリンピック輸送などに活躍したE2系「あさま」車両が2017年3月、すべて引退することになりました。最終日は3本の列車が運転される予定です。

北陸新幹線、20周年を目前に

 JR東日本が今年2017年、同社の新幹線各路線が開業35周年(東北・上越)や25周年(山形)を迎えることから、「新幹線YEAR2017」キャンペーンを実施します。

 そうした記念の年、まもなくの3月31日(金)をもって、新しい道を切り開いたJR東日本の新幹線車両が引退します。長野新幹線「あさま」用のE2系です。

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赤い帯をまいた長野新幹線のE2系電車。「あさま」の列車愛称は、車窓に見える浅間山に由来(2011年11月、恵 知仁撮影)。

「長野新幹線」は、北陸新幹線が高崎~長野間のみだった時代の呼称ですが、E2系はその北陸新幹線が「長野新幹線」と呼ばれていた時代の代表的車両であること、2015年3月に長野~金沢間が延伸開業して、長野新幹線が正式名称である「北陸新幹線」と呼ばれるようになっても、引き続きE2系の営業は東京~高崎~長野間の「長野新幹線区間」であることから、分かりやすさを考え、ここでは「長野新幹線『あさま』用のE2系」とします。

 長野新幹線は、1998(平成10)年2月の「長野オリンピック」開催に合わせ、前年の1997(平成9)年10月1日に開業。そのときから走り続けてきた、オリンピックはもちろん行楽や出張、通勤、通学といった多くの利用者を運んできた長野新幹線「あさま」用のE2系が20年目の2017年、厳密には半年後に20周年を迎える前の2017年3月31日(金)、営業運転を終了するのです。

 このE2系は、JR東日本の新幹線次世代標準車両として1995(平成7)年より製造されたもので、長野新幹線で想定される“課題”を克服して登場。1997(平成9)年の長野新幹線開業に貢献しました。

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コメント

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9件のコメント

  1. いまさらだが、なぜ「信越新幹線」にならなかったのだろう。信州を経て越前・越中に至る鉄道なのだが。 政治的な問題か? 法律上の問題か?

    • 加賀…

    • 信越本線とほとんどからです。
      むしろJR東は「長野新幹線」JR西は「北陸新幹線」が適当だとは思います。

    • 信越本線とほとんど被らないからです。
      むしろJR東は「長野新幹線」JR西は「北陸新幹線」が適当だとは思います。

  2. 今更ながら、信越本線高崎~軽井沢間新線付け替えで高速化(想像としては史実の北越急行ほくほく線を複線化して貨物にも対応したもの又は京成電鉄成田スカイアクセス線の狭軌版)でも良かった気がします。
    羽田孜、小渕恵三、福田赳夫康夫親子、中曽根康弘弘文親子、山本富雄一太親子、小坂善太郎憲次親子、井出一太郎正一親子、若林正俊、田中秀征らを選良として選び続けた群馬県長野県の有権者のエゴ、大手私鉄西武グループの経営者(当時)の堤義明への利益供与のせいで・・・。
    58年前に勾配緩和せずに補助機関車で乗り切る決断をした旧日本国有鉄道総裁の十河信二、技師長の島秀雄が犯した過ちの尻拭いは・・・。

    • 小諸の方ですか?お察しいたします。

  3. 風光明媚だあ

  4. 自分にとっての「あさま」は未だに189系のままだ。遂に世間様から20年遅れになってしまった。

  5. お世話になりましたなあ あさまさんよお