蒸気機関車の煙を嫌がった? JR中央本線「一直線ルート」本当の理由は
「技術上の基本」忠実に守っただけ?
しかし、この説を証明する信頼性の高い史料のたぐいは、いっさい見つかっていません。
「蒸気機関車の煙」「宿場町の衰退」「競合する水運の衰退」などを懸念した沿線住民の反対で、市街地から外れたルートにしたという「鉄道忌避伝説」は、中央本線のほかにも全国各地で多数語られています。しかし、明確な史料が残っていないケースが多く、ここ数十年の研究で各地の「鉄道忌避伝説」はいずれもほぼ否定されています。
それでは、甲武鉄道はなぜ一直線のルートを採用したのでしょうか。これについても明確な史料が残っておらず、はっきりしたことは分かりません。ただ、甲武鉄道の建設目的は「甲州(甲府)と武州(東京)を結ぶこと」。東京と甲府の間にある中小の市街地は、あまり眼中になかったのかもしれません。そう考えると、東中野~立川間をひたすら真っすぐ進んでいるのも納得できます。
また、明治期の鉄道車両は馬力の小さい蒸気機関車が一般的。急な上り坂や下り坂は可能な限り避ける必要がありました。甲州街道はアップダウンが多いため、鉄道には向かないルートでした。
その点、現在の中央本線ルートは比較的緩やかな勾配が続くだけ。甲州街道に比べれば、鉄道建設に向いたルートであるのは確かです。「一直線」のルートは、単に「勾配を避ける」という技術上の基本を忠実に守っただけ、かもしれません。
【了】
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