鉄道の孤立路線なぜ生まれた? 同じ会社なのに離れ小島、車両やり繰りは
孤立路線の独自性を楽しむ
鉄道会社の多くは車両のメンテナンスを行う工場を路線規模に応じて用意していますが、孤立路線がある場合、その路線用に工場を設置するか、何らかの方法で本線側の工場に車両を運ぶ手立てを考えなくてはなりません。
たとえば東武東上線や西鉄貝塚線は、車両数が多かったり車両の規格が本線と異なったりすることなどから孤立路線側にも工場を設置しています。一方、西武多摩川線は車両数が16両程度と少ないことから工場を設置せず、JR線を介して西武池袋線の武蔵丘車両検修場(埼玉県日高市)まで輸送し、検査を行います。
変わった例として名鉄瀬戸線では、車体は瀬戸線の尾張旭駅に隣接する尾張旭検車区(愛知県尾張旭市)で検査をしますが、台車や床下機器は名古屋本線にある舞木検査場(同・岡崎市)にトラックで運んで検査するという、車両の上下を別の場所で検査するユニークな方法を取っています。
本線と孤立路線で車両をやり取りする際、線路がつながっていれば他社線を経由する方法がありますが、名鉄瀬戸線のように他の路線と物理的につながっていない路線では、トレーラーで陸送します。路線が孤立している場合、車両の検査や移動もいろいろ考えなくてはなりません。
しかし一方、乗客の視点からだと、孤立路線には本線側とは違った独特の「味」を見つけられます。
東武東上線は孤立路線とはいえ、東上本線と越生線を合わせると、その長さは京急電鉄全線に匹敵する85.9kmに達します。2015年までは東上業務部という部署が置かれ、東上線専用の沿線広報誌『ゆぁ東上』を発行したり、東上線のロゴがあったりと、東武本線(伊勢崎線、日光線など)とは一味違った雰囲気です。
また、名鉄瀬戸線、京阪大津線、西鉄貝塚線は本線系統とは異なるタイプの車両を運用しており、一見すると別会社の鉄道のように感じるかもしれません。
孤立路線には離れ離れになった理由や歴史が存在し、それゆえに本線とは異なった独自の文化や車両が生まれることもあります。同じ会社なのにほかとはちょっと違う雰囲気を味わえる楽しさが孤立路線にはあります。
【了】
Writer: 児山 計(鉄道ライター)
出版社勤務を経てフリーのライター、編集者に。教育・ゲーム・趣味などの執筆を経て、現在は鉄道・模型・玩具系の記事を中心に執筆。鉄道は車両のメカニズムと座席が興味の中心。座席に座る前に巻尺を当てて寸法をとるのが習慣。言うなれば「メカ&座席鉄」。
津端駅 × → 津幡駅
アイ・レール 様
ご指摘ありがとうございます。
只今修正いたしました。
京阪本線の三条駅止まりの歴史はどこでも紹介されませんね。
京阪は戦前は「新京阪線」もあり、「京阪本線」とは線路が繋がっていなかった。
この記事に無い事例になりそうなところだと三岐鉄道かな?
あと以外と知られていないのがJR貨物。
他のJRが管理する路線だけかと思いきや自社管理路線もあったり。
その貨物関係で神奈川臨海鉄道という事例もあったり。
乗換駅はあるけど物理的に線路をつなげられない(軌間が違う)京王井の頭線とかも孤立と言えば孤立。
小田急に所属したままだったらどうなってたのだろうか。
今は廃止になった小坂精練(秋田県)と片上鉄道(岡山県)も同じ同和鉱業の時代があった。
多分、距離の遠さはナンバーワン。
車両の行き来もあった。
こういう記事こそは、分量が多くなってしまい大変でしょうけれど地図をつけて頂いたほうが、沿線でない読者にもわかると思います。
あと思いつく会社といえば…、
関東鉄道、土佐くろしお鉄道、北陸鉄道、伊豆箱根鉄道、など。
一時期存在していた路線を含めると東急、南海、営団地下鉄、都営地下鉄、京福電気鉄道なども入ります。
(追記)
一時期存在、というより一時期分離していた路線、のことです。
あとほかにあったら教えてください。
近鉄の田原本線などは路線図を見るたびどうしてこうなった?と不思議でなりません。
元々別の路線だったろうとか、想像できますが、線路の規格とかいろいろあると思います。
規格が違っても駅を統合する(橿原神宮前駅の様に)くらいあってもおかしくないのに何故統合しないのか
(工事は一時的な物でも管理はずっと続く)経営的な判断があるのでしょうが、考察も行って欲しいです。
近鉄の田原本線は元々「大和鉄道」が建設し営業していた(戦前は新王寺-西田原本-桜井で営業していた)路線で、戦時中の大合併で成立した近鉄に、戦後になって生駒線や東信貴鋼索線(1983/9/1廃止)と共に加わったことが田原本の線形の謎の要因では無いかと思われます。
(近鉄の田原本線と橿原線は、線路の規格に関しての違いは無い)
名鉄瀬戸線は大曽根駅辺りでJRに連絡出来るようにしていればなあ
南海にも、西武多摩川線と同じような離れ小島の孤立路線がありましたね。
それは、和歌山~伊太祁曽間の「南海貴志川線」でした。
現在、この路線は独立して「和歌山電鐵」になっています。
横浜高速鉄道にも孤立路線がありますね。
長津田~こどもの国間の「こどもの国線」(Y000系)と、横浜~元町・中華街間の「みなとみらい線」(Y500系)は、全く違う車両です。
筑豊電気鉄道は元は西鉄でした。(その理由で西鉄グループである)その為、天神大牟田線、貝塚線とは繋がっていなかったということになります。また、平成筑豊鉄道にも孤立路線があります。