戦前に存在した「東横線新宿駅」計画 今は別路線のターミナルに

渋谷と横浜を結ぶ東急東横線には、かつて新宿まで線路を伸ばす計画が存在しました。昭和初期の都市計画にもその構想が見てとれますが、戦争を経た現在、「東横線新宿駅」の場所には別の路線のターミナル駅が設けられています。

明治神宮の西側を北上して新宿へ

 渋谷駅(東京都渋谷区)と横浜駅(横浜市西区)を結んでいる東急電鉄の東横線には、かつて新宿まで線路を伸ばす計画がありました。ルートは、碑文谷(のちに渋谷に変更)から北上し、明治神宮の西側を通り、現在でいうJR新宿駅の西口へ至るというものです。

 渋谷から新宿へは、1912(大正元)年に「武蔵電気鉄道」(のちの東京横浜電鉄。東京横浜電鉄は現在の東急電鉄の前身のひとつ)に対して免許が交付されています。同年11月26日付の『官報』を見ると、「軌道幅員」(レールとレールの間隔)は4フィート8.5インチ(≒1435mm)、鉄道種別は「電気鉄道」にて、「東京府荏原郡碑衾村大字碑文谷」から「国有鉄道新宿停車場」まで、延長およそ7.6kmの線路を敷設する計画です。

 しかし着工には至らず、1917(大正6)年には「東京都荏原郡目黒村」から「同府豊多摩郡淀橋町」(現在の新宿駅付近)までの区間で再度免許を受けています。関東大震災の翌年である1924(大正13)年、武蔵電気鉄道は社名を東京横浜電鉄に変更。1927(昭和2)年には東横線の渋谷駅を開業し、そのあとも新宿延伸の模索を続けました。

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2013年から東京メトロ副都心線と直通運転を始めた東急東横線(2016年7月、恵 知仁撮影)。

 内務省の出先機関である都市計画東京地方委員会が審議し、1934(昭和9)年4月18日に都市計画決定された新宿駅西口のプラン「新宿駅付近広場及街路計画」を見ると、小田原急行鉄道(現在の小田急電鉄)の駅の西側地下に東京横浜電鉄の駅スペースが確保されていることから、当時の時点では、東横線の新宿駅計画が“生きていた”ことがわかります。

 しかし渋谷〜新宿間は並行して山手線が走っており新宿延伸の意義が低いことや、東京横浜電鉄の経営方針の変化などから免許は失効してしまいました。

 現在、この東横線用に確保されていた新宿駅西口のスペースは、京王線の新宿駅になっています。戦争末期の1945(昭和20)年5月、京王線の天神橋変電所が空襲の被害に遭い電圧が低下。それまで新宿駅南口の跨線橋を渡って京王新宿駅(現在の「京王新宿三丁目ビル」「京王新宿追分ビル」に相当)まで運行されていた電車は、跨線橋の坂を上れなくなってしまいました。

 この事態を受け、京王線は新宿駅青梅口(現在の西口)に確保されていた東横線用の土地に駅を設け、ここで発着するようになります。京王新宿駅は7月に廃止され、そして終戦。京王線の新宿駅は戦後、移転することなく1963(昭和38)年4月には地下化され、さらに1978(昭和53)年10月には地下30mに京王新線の新宿駅が開業し、現在に至ります。

 なお、かつて新宿への乗り入れを模索していた東横線は、2013年に東京メトロ副都心線と直通運転を開始。戦前の計画と少し異なりつつも、“新宿に直通で行ける”という構想は実現しています。

【了】

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