【都市鉄道の歴史を探る】地下鉄車両の「顔」 東京地下鉄道から営団、メトロまで
日本初の地下鉄として東京地下鉄道(現在の東京メトロ銀座線・上野~浅草間)が開業してから90年。そこを走る鉄道車両も何度か代替わりしました。東京メトロの地下鉄各線に導入された鉄道車両の先頭部デザインはどのように変わったのか、その流れを見てみます。
インパクトと伝統を重視する鉄道車両のデザイン
東京メトロが新型車両を積極的に導入しています。銀座線は2012(平成24)年から1000系の導入が始まり、2016年に全編成の更新を完了しました。千代田線には2010(平成22)年から2017年にかけて16000系が導入されており、6000系の引退も間近です。
日比谷線初の20m車両となる13000系は、ホームドアの設置工事が始まる2020年までに更新を完了する予定。2018年度末からは丸ノ内線にも2000系の導入が始まります。
鉄道を利用する際に、最も長い時間を過ごすのが車内です。騒音を逓減し空調を強化するなど快適性を格段に改善した新型車両の登場は、路線のイメージ刷新に大きな役割を果たします。一方で車両は路線の顔でもあります。新型車両のデザインは、ひと目で新しさが分かるインパクトとともに、伝統を引き継ぐことによる信頼感、安心感がなくてはなりません。
戦前の東京地下鉄道、東京高速鉄道から戦後の営団地下鉄、そして現在の東京メトロに至るまで、地下鉄車両の「顔」に宿る系譜をたどってみることにしましょう。
【銀座線】日本初の地下鉄車両1000形
日本初の地下鉄に用いられた、日本初の地下鉄車両が1000形です。トップナンバーの1001号車は東西線・葛西駅(東京都江戸川区)のすぐそばにある地下鉄博物館で保存展示されており、2017年には国の重要文化財に指定されました。
1000形といえばベルリン地下鉄を模して、地下でも明るく映えるレモンイエローの車体色を採用したことで知られますが、メカニズム的にはアメリカの電車技術をベースとしています。
主要な電気機器類はゼネラルエレクトリック(GE)社とウエスチングハウス(WH)社製のものを使用(のちに国産化)しており、バネで整列するリコ式吊り手や、連結面の転落を防止するセーフティ・ゲートの採用にもアメリカ電車文化の強い影響がみられます。
車体の構造上の特徴としては、耐火性や衝突安全性を考慮して一切木材を使用しない全鋼製としたほか、駅到着時にかがまなくてもホーム上の駅名板が見えるように大型の窓を採用しています。
折妻に3枚窓と貫通戸を配置した先頭部はオーソドックスなものですが、側面窓に合わせてガラス面積を広くとっているのがデザイン上の特徴です。
延伸と増発に伴って1000形、またその改良型が順次増備されますが、戦後に至るまで銀座線の電車のスタイルはほとんど変わっていません。
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Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx