昭和の丸っこい「モノコックバス」現役! 道北に全国からバスファン いまや観光資源に
維持も操作も大変 部品を求めて全国へ…
バスの耐用年数は、車両タイプや使用状況にもよりますが、10~20年といわれます。一方でこのモノコックバスが製造されたのは1982(昭和57)年。2018年現在で36歳の大ベテランです。このバスは日野自動車製の「K-RC301P」という型式で、もともとは士別市に隣接する和寒(わっさむ)町で自家用車として使用されていました。そのため、路線バスとしての設備は後からつけたものだそうです。
実際、降車ボタンがサッシからはみ出ていたり、床や座席の色がところどころ違ったりと、苦心の跡がうかがえます。また、車内は2人掛けシートが主体ですが、前部の進行方向左側の座席は1人掛けシートとなっています。この部分のみ色や形が異なるため、後から交換したものでしょう。
いまや貴重となったモノコックバスですが、その維持管理は並大抵の手間ではないといいます。運転手さんによると、古くなった部品を入れ替えようにも、製造元で残っておらず、ツテを頼って全国を探し回っているそうです。また、運転中の諸操作もかなりの部分が手動で、車内放送も8トラックのカセットテープを手動で再生・停止しています。ウィンカーを点灯させたあとも、いまでは珍しい「戻す操作」が必要となり、ベテランの運転手でも戻し忘れそうになるのだとか。
このように整備も乗務も対応できる社員が少ないため、運用回数は限定せざるを得ないのです。最近、バスを主題とする映画撮影のために長期間貸してほしいという要望があったそうですが、撮影期間がかなり長かったうえに、貸し出しとなると運転手や整備員込みとなり通常業務に支障をきたすため、やむなく断ったといいます。
とはいえ、近年はこのバスに乗るために士別を訪問するバスファンも増えています。バスを使用したツアー旅行も不定期で開催され、廃止されたバス路線を再現して走ってみたり、同様に廃線となったJR深名線(深川~名寄)の駅跡や、1日1本しか列車が来ないJR札沼線 新十津川駅(新十津川町)へのツアーに使われたりと、その存在はもはや観光資源となっています。
2018年には期間限定でもう1往復運用を増やし、9時40分士別駅前発の便と、その折り返し便である10時40分病院前(風連側の始発バス停)発の便もモノコックバスが担当することになりました。これらの便ならば、いつもの運用より長くモノコックバスに乗車できます。5~6月の第1期は終了しましたが、9月1日(土)から10月14(日)までのあいだで、第2期の増便が実施されています。さらに、観光シーズンには士別軌道の車庫でモノコックバスが敷地の端に置かれ、士別駅付近からもバスが見られるようになっています。
ちなみに、士別軌道はその社名から想像されるとおり、鉄道事業をルーツとしています。1920(大正9)年から1959(昭和34)年まで、士別~奥士別間で軽便鉄道(JR在来線などよりも線路幅が狭い鉄道)を運営していました。
【了】
※記事制作協力:風来堂、OleOleSaggy
1982年製って、モノコックとしては末期に感じる。
その頃には地元の東急バスにちらほら真四角なスケルトンが走り出してた気がする。
…あやふやな記憶なので、間違ってたらフォロープリーズ。
末期でしょうね、82年ならウインカーレンズにスモールランプ埋め込みですし
見たところシフトレバー自体にギヤポジションを刻んでるタイプなので前後の年代でしょうね。
ディーゼル規制全盛期に一時期だけ直噴エンジンでない車種だけが規制を免れる時期がありましたが、日野が赤いエンジンを唱う前の型式ですからね
思えば日野レンジャーのKL型式のSDから始まった赤いブロックの直噴エンジン以前の年式のバスですからね
よく修学旅行で充当されましたが、ターボエンジンはアイドリング時からブースト音を響かせるマニアにはたまらん車種だったと思います。
エアーブレーキも日野車独特の音でワンテンポ遅れる解除の感覚で坂道発進の容易な車型だとドライバーさんから話を聞いたものでした。
実際に実用トルクなどはEF300型などのV8エンジンを搭載した日野RVと同等である使いやすさも高評価だったそうです。
何せエアサスも収まりの悪いフニャフニャサスで車酔いは続出するわで、箱根を登る登山バスなどは逆にこの特性を利用して左カーブで一旦右に煽って車体を安定させて曲がりきる技があったほどですからね
冬季のエンジン始動はシリンダーキーを逆に回して余熱を施して電熱線が赤くなるのを待ってから始動する火入れ式もこの年式独特のものでしょうね
また後継のHUやHT型に世代交代した後も全国で見ることができたのも受け入れられていた証でしょうね