旧軍空母「加賀」の一部始終 廃艦寸前の元戦艦はなぜ空母になり精強を誇るに至ったか

【写真】「加賀」を眼下に飛ぶ九六艦攻

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1937年から1938年ごろに撮影された、九六式艦上攻撃機と「加賀」。複葉の九六式艦上攻撃機は乗員3名で、機首と後部の7.7mm機銃のほか、魚雷もしくは爆弾を搭載できた。

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Writer: 月刊PANZER編集部

1975(昭和50)年に創刊した、40年以上の実績を誇る老舗軍事雑誌(http://www.argo-ec.com/)。戦車雑誌として各種戦闘車両の写真・情報ストックを所有し様々な報道機関への提供も行っている。また陸にこだわらず陸海空のあらゆるミリタリー系の資料提供、監修も行っており、玩具やTVアニメ、ゲームなど幅広い分野で実績あり。

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コメント

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3件のコメント

  1. 「加賀」と「信濃」がイレギュラー(戦艦改造空母なので、戦艦の命名規則に則って艦名が旧国名)と言うのであれば、「赤城」「葛城」もイレギュラー(重巡洋艦(巡洋戦艦)改造空母なので、重巡洋艦の命名規則に則って艦名が山の名前)なのに、何故「空母で山の名前は一般的」のように扱われているのか疑問。
    読者に対して不誠実だと思う。

    • 赤城と並んでいたので勘違いしてしまいましたが、葛城は純粋に空母ですが山の名前でした。
      赤城は空母の命名規則で山の名前という訳ではないですが。

    • そに指摘は妥当。どうせ読者はわからない、疑問に思ってもどうせ調べないだろうし、どうでもいい、というのが、 書き手側の気持ちでしょう。