横浜中心部の「戦争遺跡」旧平沼駅 京急線の高架にその痕跡を探す

旧平沼駅に押し寄せる老朽化の波

 当時から京急線の旧平沼駅周辺は高架となっており、空襲時にはこの高架下に多くの人が逃げ込んだものの、火災や熱風で逃げ場を失い多くの人が亡くなったといいます。駅舎跡も焼夷弾によって壊滅的な被害が生じました。この時の火災や熱風による焦げ跡が戦後も残され、旧平沼駅は横浜大空襲の戦争遺跡として見られるようになります。

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平沼一丁目交差点から旧平沼駅方面を俯瞰。周囲にはオフィスビルやマンションが林立する(2019年4月、河嶌太郎撮影)。

 戦後、旧平沼駅は駅として復活することはありませんでしたが、駅舎跡の鉄の骨組みは高架上に残ったままとなりました。架線柱の代用にしていたという実用面の事情もありましたが、戦禍を後世に伝える意図もあったといいます。

 しかしその戦争遺跡としての役割を果たしていた旧平沼駅にも、老朽化の波が押し寄せます。終戦から54年経った1999(平成11)年、老朽化が進み骨組みが崩れる危険性が出てきたため、この鉄骨は撤去されてしまいます。それからさらに6年後の2005(平成17)年ごろから、耐震補強のため改修工事が進み、現在では残されたホーム跡も保線用の資材置き場となっています。

【写真】平沼駅の痕跡を探す

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