横浜中心部の「戦争遺跡」旧平沼駅 京急線の高架にその痕跡を探す

現在の平沼駅跡は…

 現在の様子はどうなっているのでしょうか。横浜駅東口から南に600mほど歩いた平沼一丁目交差点のそばに、平沼駅の跡はあります。京急の高架橋があり、その下は工事現場によくある薄灰色をした鉄製の仮囲いに覆われています。そのため、高架橋の下がどうなっているか外から分からず、そのまま通っただけではただの工事現場にしか見えません。しかし仮囲いの上に目をやると、老朽化した柱や黒く焦げ付いたような遺構を見ることができます。場所によっては、高架下にアーチ状の窓みたいな構造や、階段が残されている部分もあり、ここに何かがあったということは読み取れるかもしれません。

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平沼商店街から旧平沼駅を見る。旧駅周辺は横浜駅から徒歩圏内で、人通りそのものは多い(2019年4月、河嶌太郎撮影)。
耐震化が進んだ高架柱の隣に年季の入った柱が並ぶ(2019年4月、河嶌太郎撮影)。
仮囲いの上を注意して見ると、随所に戦災の様子がうかがえる(2019年4月、河嶌太郎撮影)。

 かつて平沼駅の改札があったとされる所には、平沼商店街が交差しています。商店街と言っても様々な商店が建ち並んでいる様子はなく、飲食店くらいしか見当たりません。その代わりに雑居ビルや、事務所が入居しているようなオートロック式マンションが入り交じっています。空襲当時97万人だった横浜市の人口も、いまや374万人。かつての住宅地も、横浜駅至近のオフィス街の一画となってしまったということでしょうか。旧平沼駅周辺の環境も、時代の移り変わりとともに激変していると言って違いないでしょう。

 このように、いま旧平沼駅の面影に触れようとしても、高架下は徹底して囲いがされてしまっています。ここが旧平沼駅だと事前に調べて訪れない限り、ここに何があったのかを直接知る手掛かりはないでしょう。もちろん老朽化や改修工事など、安全面のため致し方ない部分はあります。とはいえ、せめて往年の平沼駅の様子やいきさつを伝える由来書ひとつでもあれば伝えられるものがあるのに、とは思いました。仮囲いを透明なものに変え、中を見えるようにするだけでも後世に遺せるものがあるかもしれません。

 2019年5月29日で、横浜大空襲から74年を迎えました。平成から令和の時代へと移り、ますます遠くなる昭和の記憶をどう受け継いでいくのか。平沼駅跡を訪れ、改めて考える必要があるのではないかと感じました。

【了】

【写真】平沼駅の痕跡を探す

Writer: 河嶌太郎(ジャーナリスト)

1984年生まれ。千葉県市川市出身。『週刊朝日』『AERA』などの雑誌のほか、「Yahoo!ニュース個人」「AERA dot.」「DANRO」「ITmedia」などのウェブで執筆。アニメを用いた地域振興からゲーム、IT、鉄道など幅広い分野を扱う。国内の鉄道路線の乗り潰しが趣味だが、災害による不通路線を残したまま数年が経過中。

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