横浜中心部の「戦争遺跡」旧平沼駅 京急線の高架にその痕跡を探す
京急本線の横浜~戸部間に存在した平沼駅は、駅廃止後、横浜大空襲により被災。その後長らく屋根の骨組みなどが残っていましたが、老朽化により撤去されてしまいました。現在、高架下から駅跡は確認できるのでしょうか。
横浜大空襲で被災
元号が令和に変わり、昭和の時代はますます遠くなろうとしています。鉄道における昭和の遺構といえば、廃線や廃駅の跡など様々なものがありますが、昭和は戦争の時代でもありました。
首都圏における身近な鉄道の戦争遺跡のひとつに、京浜電気鉄道(駅廃止時は東急電鉄、現在の京急電鉄)の旧平沼駅(横浜市西区)があります。平沼駅は、京急線が横浜駅まで乗り入れた翌年の1931(昭和6)年12月に開業。しかし太平洋戦争中の1943(昭和18)年6月に営業を休止し、戦争が激化した翌1944(昭和19)年11月に廃止されてしまいます。わずか13年という短い期間でした。廃止の理由について京急電鉄は、「戦時体制の中で比較的不要な駅を廃止したのではないか」とみています。
そんな旧平沼駅に転機が訪れるのは、1945(昭和20)年5月29日の横浜大空襲です。東京大空襲を超える数の米軍のB-29爆撃機517機が横浜市中心部に飛来し、43万8576発の焼夷(しょうい)弾を投下した無差別爆撃で、当時の横浜市人口の3分の1にあたる31万人が被災しました。死者数は直後の神奈川県の記録では3649人とされていますが、その後の調べでは、8000人とも1万人ともいわれています。
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