大和型戦艦の豪華設備は贅沢だったのか? 「ヤマトホテル」「武蔵屋旅館」にようこそ

連合艦隊旗艦に求められた「戦闘力」以外の「力」

 冒頭で述べたように、「大和」を訪れた陸軍参謀の辻中佐は「ヤマトホテル」の贅沢ぶりにその場では悪態をつきましたが、後に「下司(げす)の心をもって、元帥(山本長官)の真意を付度しえなかった、恥ずかしさ。穴があったら入りたい気持ちであった」と回想しています。

「大和」「武蔵」は連合艦隊旗艦として建造されました。それは単なる戦闘艦以外の機能も要求されます。いまでも軍艦は国家主権のシンボルであり、外国に行けば外交官の役割も果たします。賓客を迎えれば最大限の供応を行うものであり、辻中佐に供された食事も、これから激戦地に派遣される大本営の陸軍参謀を最大限供応する「海軍のマナー」でした。陸海軍の文化の違いもありますが、辻中佐は後でこのことを知り、恥じているのです。

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艦長以下士官用の居室。艦は不明。調度品が整えられている(画像:藤田精一 編「大日本軍艦写真帖」/国立国会図書館蔵)。

 では「ヤマトホテル」と「武蔵屋旅館」、どちらが快適だったのでしょう。

「大和」は海軍の呉工廠が建造し、「武蔵」は長崎三菱造船所が建造しました。民間企業の長崎三菱は大型客船も多く手掛けた経験があったためか、艦内の内装や調度品の仕上がり、使い勝手は「武蔵」の方が良かったといわれています。呉工廠も、「大和」の内装仕上げには長崎三菱からの協力を得ています。司令室の広さなど武蔵の方が旗艦機能は充実していたようです。

 大和型戦艦は日本陸軍参謀すら驚嘆させた威容、艦内設備と居住環境を誇ります。動かずともその存在を誇示するだけで、日本の抑止力を担う「戦略兵器」になる可能性がありました。世が世なら「ヤマトホテル」「武蔵屋旅館」は、立派に機能を果たしてくれたかもしれません。

【了】

【写真】「武蔵」が迎えたVIPの中のVIP、1943年6月の昭和天皇行幸

Writer: 月刊PANZER編集部

1975(昭和50)年に創刊した、40年以上の実績を誇る老舗軍事雑誌(http://www.argo-ec.com/)。戦車雑誌として各種戦闘車両の写真・情報ストックを所有し様々な報道機関への提供も行っている。また陸にこだわらず陸海空のあらゆるミリタリー系の資料提供、監修も行っており、玩具やTVアニメ、ゲームなど幅広い分野で実績あり。

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1件のコメント

  1. 昭和天皇が戦艦武蔵に行幸あそばされたとき、古賀長官とともに艦内を案内したのはうちの爺様の従弟であった。