大和型戦艦の豪華設備は贅沢だったのか? 「ヤマトホテル」「武蔵屋旅館」にようこそ

「ホテルじゃありません」大型戦闘艦として必要な設備ばかり

 他艦の乗組員から最もうらやましがられたのが冷房設備でした。士官用居住区に限られていましたが、当時は一部百貨店や病院などにしか設置されていない贅沢品です。しかし、これはそもそも人間用に設置したものではありませんでした。

 日本海軍は何度も艦船の弾薬による爆発火災事故を起こしており、戦艦「陸奥」が爆沈してしまった事故もあります。大和型には大量の弾薬が収められるため、安全管理は最優先事項でした。また火薬の状態によって砲弾の射程や初速、弾道は変化し、命中精度に影響が出るため、弾薬庫の管理は厳重で、温度は摂氏7度から21度、湿度80パーセント以下に保つ必要がありました。そのようなわけで、弾薬庫用に東京芝浦電気製の冷房設備を積み込んだのです。居住区や食材の冷蔵庫を動かしていたのは、弾薬庫の冷房の余力によるものでした。

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戦艦「三笠」と思われる将官用の艦内公室。床にはじゅうたんが敷かれ、木工調度品がそろえられている(画像:藤田精一 編「大日本軍艦写真帖」/国立国会図書館蔵)。

 また、冷房と共によくやり玉に挙げられるラムネ製造機は、大和型だけの贅沢設備というわけではなく、巡洋艦以上の大型艦には搭載されているものもありました。しかし、これもそもそもは人間用の設備ではなく、火災時に使用する二酸化炭素消火設備の、オマケの付属品でした。閉鎖空間の艦内で二酸化炭素を消火手段に使うことは、現在でも行われています。

 当時、日本陸海軍では、暑い時期には砂糖水が支給されていました。これに二酸化炭素を混ぜればラムネになります。大和型ともなれば二酸化炭素消火設備も大型で、最大1日5000本を製造できたといいます。

 艦橋にはエレベーターも設置されていました。中甲板から13階、露天甲板からでも10階建てになっており、階段で昇降するのは大変でした。このエレベーターは三菱電機製で、定員3人から5人といわれていますが詳細は分かっていません。いまのようなボタンを押すだけの全自動運転ではなく、扉の開閉や、エレベーターと乗場の床面を合わせるのに加減速操作が必要な手動運転方式で、かなりの高速で乗り心地は悪かったといわれています。原則的に上級士官用でしたが、艦橋横の九三式13mm連装機銃の銃弾運搬員と第一艦橋付近に待機所があったパイロットについては、緊急時に必要に応じて使用が許可されていたようです。

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