ゆりかもめ、豊洲の先どこへ行く? 計画は人口増で白紙 東京湾岸エリアの状況背後に

交通空白地帯の晴海

 そのなかで注目されたのが、都心と臨海副都心の中間に位置する豊洲・晴海地域でした。この地域は明治後半から昭和30年代にかけて埋め立てられた土地で、工場や倉庫、港湾施設など工業用地として使われてきました。東京都は豊洲・晴海を臨海副都心線と一体的に再開発し、オフィス、商業、住宅が一体化した「職住近接の人間味あふれるまちづくり」を目指しました。

 課題は交通網の整備でした。都電時代も門前仲町から月島を経由して築地に抜ける路線があったのみで、都心からのアクセスはバス頼み。ようやく1988(昭和63)年に営団(現・東京メトロ)有楽町線が新木場まで延伸開業し、途中に月島駅と豊洲駅が開設されますが、再開発のエリアからは距離が離れていました。

 ここで注目されたのが、新橋と豊洲、ふたつのルートで都心と臨海副都心を結ぶ新交通ゆりかもめです。ゆりかもめは第1期線として新橋~有明間、第2期線として有明~豊洲間の整備が進められましたが、豊洲の交通空白地帯は豊洲延伸で解決されることになっていました。そこで、ゆりかもめを晴海方面にさらに延長することで、晴海の交通空白地帯も同時に解消しようと考えたのです。

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豊洲駅の先でカーブを描きながら途切れた軌道(2018年10月、枝久保達也撮影)。

 晴海から先はなぜ勝どきまでかというと、既に計画が動き始めていた都営大江戸線に接続すれば、その他の地域へのアクセスが可能になると考えられたからです(ちなみに勝どきから先の延伸も検討はされています)。

 ところが、臨海副都心の開業を前にしてバブル経済が崩壊。開発計画は大きく後退し、まち開きを記念して開催される予定だった「世界都市博覧会」も1995(平成7)年に中止が決定されてしまいます。豊洲、晴海の再開発も見直しを余儀なくされました。

【地図】豊洲から先の「S字」延伸構想

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コメント

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1件のコメント

  1. たしかにゆりかもめは遅い・小さい・高いでいいとこないな…
    新橋から大した距離じゃないのに時間かかるし、豊洲に出てもしょうがないし