Uボートも撃沈した豪華客船「タイタニック」姉妹船 その2隻がたどった数奇な運命とは

客船になれなかった「ブリタニック」

 まずはその「ブリタニック」ですが、前述のように「タイタニック」が沈没したためその建造計画は遅れ、進水式が行われたのは1914(大正3)年のことでした。豪華客船として建造されたはずの「ブリタニック」ですが、就役とほぼ同時に第1次世界大戦が勃発、船体は白く塗り替えられ大きく赤十字のマークが描かれた病院船として、イギリス海軍に徴用されてしまいます。

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オリンピック級3番船「ブリタニック」は1914年進水、翌1915年の竣工直後にイギリス海軍へ病院船として徴用された。

 そしてその最後の航海となったのはわずか1年後、地中海でのことです。1916(大正5)年11月21日、イタリア、ナポリを出港した「ブリタニック」は折からの時化に見舞われ、さらに触雷するという不運に見舞われました。急速に浸水し、沈んでいく「ブリタニック」。急ぎ避難ボートを降下させるもスクリューに絡まり、2隻が破損。それでも「タイタニック」の教訓が生かされ、乗船していた約1000人のうち犠牲となったのは20名程度でした。

 こうして、「ブリタニック」は「タイタニック」同様、その短い一生を終えることになりました。

姉妹とはひと味違った「オリンピック」

「タイタニック」「ブリタニック」と、妹たちは短命に終わりましたが、1番艦として生まれた「オリンピック」は「Old Reliable(頼もしいおばあちゃん)」とあだ名されるほど長く、大胆に活躍しました。

「オリンピック」が就役したのは1911(明治44)年、「タイタニック」が沈没する約1年前のことです。当時は「世界で最も大きな船」「不沈船」という鳴り物入りの触れ込みで導入されました。

 処女航海先のニューヨークでスクリューが引き寄せたタグボートに損傷を与えたり、その3か月後にはイギリス軍の巡洋艦と衝突したりと、その後の「タイタニック」の悲劇を予感させるような事故も起こしますが、「オリンピック」は運よく生き残りました。「タイタニック」の沈没時にはSOSを受信し、救出にも向かっています。

【写真】映画のラストシーンが目に浮かぶ「大階段」

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