都電 荒川線だけなぜ残ったか 道路を走らぬ「専用軌道」の多さ鍵 元は王子電気軌道

存続のカギは専用軌道 バスによる代替輸送が困難だった

 都電の利用者減少と物価・人件費の上昇、また都営地下鉄建設への投資がかさんだことから、東京都交通局は1967(昭和42)年に財政再建団体に転落。経営再建の一環として、同年から7回にわたる線路や設備などの撤去が行われました。

 1972(昭和47)年に残っていた路線は、現在の荒川線にあたる27系統(三ノ輪橋~王子駅前)と32系統(荒川車庫前~早稲田)、そして江東区・墨田区を中心とする23系統、24系統、28系統、29系統、38系統の計5系統でした。最後に残った7系統のうち、存続した荒川線と廃止された5系統の運命を分けたのは何だったのでしょうか。

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都電荒川線は路面電車であるものの、道路ではない専用軌道の区間が多い(画像:写真AC)

 実は荒川線も当初は廃止される予定でした。しかし、2系統合計で10万人を超える利用者がいたこと、三ノ輪橋~早稲田間の9割が道路と分離された専用軌道のため、道路渋滞の影響が少なかったこと、そして並行する道路がなくバスによる代替輸送が難しかったことから、地元の強い要望を受けて1974(昭和49)年に永久存続が決定。ふたつの系統を一体化して「荒川線」が誕生します。

 一方、地下鉄の整備が遅れていた江東区・墨田区周辺の路線についても存続が検討されたそうですが、荒川線とは逆にほとんどの区間が併用軌道だったことから、道路渋滞に与える影響が大きく、バス転換が容易であったために廃止が決定しました。

【地図】都電2系統が統合して生まれた現在の荒川線

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コメント

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2件のコメント

  1. 墨田区はともかく、江東区のほとんどが併用軌道と言うのは当たらない。確かに系統別にみると錦糸町駅の南側、京葉道路や四ツ目通りを通る系統のうち、四ツ目通りの28系統は全線が併用軌道だが、京葉道路の29・38系統は亀戸駅近くの「水神森」停留所から専用軌道に入る。そして境川で29系統は左折して葛西橋へ。
    38系統は直進して東陽町に向かう。ここは専用軌道だが並行道路でバス代替が可能と判断されたのだろう。廃止されてしまった。しかし、都電の車体とバスの車体では大きさが違い、バスでは運びきれないほどの乗客がいる。この中で地下鉄と無縁の28・38系統を代替した東22系統、都07系統(廃止当時は錦14系統)は3分間隔で頻発運行をしても客をさばききれない状態が日常で、これだけを見ても廃止は間違いだったことが明白である。もし、この区間の他に残すべき系統があるとすれば柳島を通る23系統、錦糸町北口から上野広小路を通って大塚駅までの16系統は残すべきだったと思う。だが、専用軌道が大半の29・38系統は廃止したのはおかしい。この両系統には荒川線にはない0メートル地帯を走る運河を太鼓橋で渡るという風情もあった。今からでも復活させてほしいと思うのは私だけだろうか。

  2. いまの荒川線は都電離れしてしまった。完全なライトレールである。ワンマン化もされたが、バスと同じく前乗り先払い(釣銭方式)の中降り方式。これは全国的に見れば、特殊な方式で路面電車では東京都が全国唯一である。(なお、東急世田谷線は連結二人乗り(後部運転台に案内係(車掌ではない)がいる)で両端ドア乗車、中ドア降車方式だが、SuicaやPASMOなどICカード所持者に限り全ドアからの乗降が可能なので東京都電とは異なる)ほかのワンマンの路面電車は中乗り後払い前降り方式の整理券式で、つり銭は出ないので両替で対処する方式。これはバスの世界でも同じで、東京の前乗り先払い、つり銭式の中降り方式は少数派になっている。また、かつての路面電車のイメージで訪れるとかさ上げされて車体とフラットな停留所。バリアフリー化が進んでいるのがよくわかる。かつての都電のイメージはない。また、すっかり観光路線になっているが、地元客も多いので全線で混雑するが特に町屋駅~庚申塚。さらには大塚駅までの混雑は激しい。乗るなら始発から終点まで乗り通すのでなければ座席に座っての乗車は厳しいと思う。
    唯一空いているのは三ノ輪橋~町屋駅間のみだと思う。