都電 荒川線だけなぜ残ったか 道路を走らぬ「専用軌道」の多さ鍵 元は王子電気軌道

かつては200kmを超える路線網があった都電のうち、なぜ荒川線だけが存続したのでしょうか。その理由に路線のほとんどが専用軌道であることが挙げられますが、その土台は王子電気軌道という私鉄時代につくられました。

クルマと共存できなかった路面電車としての都電

 東京に残る路面電車、都電荒川線。道路上を走行する併用軌道が見られる路線としては、東京で唯一です。JR王子駅(東京都北区)のガード下から顔を出した電車が、クルマに囲まれながら飛鳥山公園横の坂を登っていく姿は、関東ではここだけに残る貴重な光景です。最盛期は200kmを超える路線網を誇った都電のなかで、なぜ荒川線だけが存続することになったのでしょうか。

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飛鳥山公園の横にある都電荒川線の併用軌道(2009年5月、草町義和撮影)。

 都電の歴史は、1911(明治44)年に東京市(当時)が民間3社の運営する路面電車を買収して市営化したことに始まります。戦時中の1943(昭和18)年に東京都制が施行されると、東京都交通局の運行する「東京都電車(都電)」に改称されました。この頃が都電最盛期と言われ、総延長213kmの路線で、1日あたり200万人近い乗客を運んでいました。

 ところが1950(昭和25)年代末になると、クルマの増加により道路混雑が悪化。路面電車はクルマの通行を妨げる時代遅れの乗りものとして、都電廃止論が浮上します。東京都交通局は1959(昭和34)年に「路面電車は廃止すべきでない」との見解を発表し、警察に併用軌道内のクルマ走行の取り締まり強化を要請しますが、警察は逆に都電の一部区間を撤去するように求め、軌道敷内へのクルマの乗り入れを解禁してしまいます。これにより都電の定時性はますます悪化し、利用者離れが進む悪循環に陥りました。

【地図】都電2系統が統合して生まれた現在の荒川線

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コメント

2件のコメント

  1. 墨田区はともかく、江東区のほとんどが併用軌道と言うのは当たらない。確かに系統別にみると錦糸町駅の南側、京葉道路や四ツ目通りを通る系統のうち、四ツ目通りの28系統は全線が併用軌道だが、京葉道路の29・38系統は亀戸駅近くの「水神森」停留所から専用軌道に入る。そして境川で29系統は左折して葛西橋へ。
    38系統は直進して東陽町に向かう。ここは専用軌道だが並行道路でバス代替が可能と判断されたのだろう。廃止されてしまった。しかし、都電の車体とバスの車体では大きさが違い、バスでは運びきれないほどの乗客がいる。この中で地下鉄と無縁の28・38系統を代替した東22系統、都07系統(廃止当時は錦14系統)は3分間隔で頻発運行をしても客をさばききれない状態が日常で、これだけを見ても廃止は間違いだったことが明白である。もし、この区間の他に残すべき系統があるとすれば柳島を通る23系統、錦糸町北口から上野広小路を通って大塚駅までの16系統は残すべきだったと思う。だが、専用軌道が大半の29・38系統は廃止したのはおかしい。この両系統には荒川線にはない0メートル地帯を走る運河を太鼓橋で渡るという風情もあった。今からでも復活させてほしいと思うのは私だけだろうか。

  2. いまの荒川線は都電離れしてしまった。完全なライトレールである。ワンマン化もされたが、バスと同じく前乗り先払い(釣銭方式)の中降り方式。これは全国的に見れば、特殊な方式で路面電車では東京都が全国唯一である。(なお、東急世田谷線は連結二人乗り(後部運転台に案内係(車掌ではない)がいる)で両端ドア乗車、中ドア降車方式だが、SuicaやPASMOなどICカード所持者に限り全ドアからの乗降が可能なので東京都電とは異なる)ほかのワンマンの路面電車は中乗り後払い前降り方式の整理券式で、つり銭は出ないので両替で対処する方式。これはバスの世界でも同じで、東京の前乗り先払い、つり銭式の中降り方式は少数派になっている。また、かつての路面電車のイメージで訪れるとかさ上げされて車体とフラットな停留所。バリアフリー化が進んでいるのがよくわかる。かつての都電のイメージはない。また、すっかり観光路線になっているが、地元客も多いので全線で混雑するが特に町屋駅~庚申塚。さらには大塚駅までの混雑は激しい。乗るなら始発から終点まで乗り通すのでなければ座席に座っての乗車は厳しいと思う。
    唯一空いているのは三ノ輪橋~町屋駅間のみだと思う。