「零戦」驚異の航続力 東京起点でどこまで行けたか? 日本独自開発「落下増槽」の効果

零式艦上戦闘機、いわゆる「零戦」は、太平洋戦争において幾度も長距離洋上飛行を行っています。往復で2000km以上飛行することもありましたが、最長でどれくらい飛べたのでしょう。距離と時間の両面から見てみます。

零戦の航続距離はYS-11よりも長い

「零戦」や「ゼロ戦」の愛称で知られる「零式艦上戦闘機」の特徴のひとつに、第2次世界大戦当時の戦闘機としては長大な航続距離が挙げられます。どれだけ長かったのでしょうか。

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アメリカのオハイオ州にあるアメリカ空軍博物館で展示される零戦二一型(画像:アメリカ空軍)。

 零戦は、機体下部に増槽、いわゆる増加燃料タンクを取り付けることで、最も航続距離が長い初期型の二一型では、約3350kmの距離を飛行することができました。

 零戦の航続距離を地図上に置き換えてみると、日本を南北に縦断する北海道根室市から沖縄県与那国島までの距離、約2950kmよりも長くなります。羽田空港を起点に考えてみた場合では、中国南部の海南島や、フィリピン中部のセブ島まで行ける距離になります。

 これを同時期の他国製戦闘機と比べた場合、ドイツのメッサーシュミットBf109が約1000km、イギリスのスピットファイアが約1800km、アメリカのF4F「ワイルドキャット」が約2500kmであり、いかに零戦が長かったかわかります。

 太平洋戦争後に開発された初の国産旅客機であるYS-11の航続距離が最大2200km、同じく戦後初の国産戦闘機であるF-1が増加燃料タンクを3本搭載した状態で最大2600kmです。用途や目的、開発状況、世相が違うので一概に比較はできませんが、零戦は設計上、この2機種よりも長く飛ぶことができたといえるでしょう。

【写真】アメリカの国籍標識「白星」を付けた零戦

 
    
 
    

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コメント

2件のコメント

  1. 航続距離が長いのは、零戦の強みと言えるが、搭乗員の「負担」になったのも確かな事。
    ただ当時の日本軍は「強靭な精神力」が新兵教育で叩き込まれており「劣悪な環境」も当たり前であり普通だった。

    対して米軍の方は、どんな激戦時でも搭乗員には「定休日」があったそうな・・・。

    搭乗員を酷使する日本軍と定休日のある米軍・・・。
    戦闘機の優劣以上に、搭乗員の待遇の差が敗戦と言う結果に現れている。

  2. 増槽の割合間違ってないでしょうか。
    いずれにせよゼロ戦は残燃料を気にせず空戦に集中出来たのは強みですね。