「零戦」驚異の航続力 東京起点でどこまで行けたか? 日本独自開発「落下増槽」の効果

零戦の航続距離の要は、独自開発の「落下増槽」

 零戦の航続距離の長さに貢献したのは、日本が独自に開発した「落下増槽」でした。落下増槽とは、操縦席からスイッチひとつで投棄可能な外付け式の増加燃料タンクのことで、いまでこそ軍用機の世界ではポピュラーなものですが、太平洋戦争当時は珍しいものでした。

 上述した零戦二一型の場合、機内燃料タンクは合計で525リットルでしたが、落下増槽の容量は330リットルあり、合算すると最大855リットルもの燃料を携行できました。割合に換算すると、落下増槽の容量は、零戦が機内に搭載した量の約63%分です。

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南太平洋にあるニューブリテン島ラバウルの飛行場から飛び立つ零戦二一型(画像:アメリカ海軍)。

 ただし燃費の良いスピード、いわゆる巡航速度は、零戦二一型でおおむね250km/h前後であったため、もし上述の航続距離をノンストップで飛び続けるとなると、約13時間もの長い時間、ひとりで操縦し続ける必要があります。現在の飛行機のように自動操縦装置など装備していないのはいうまでもありません。

 結局、この長時間飛行は、あくまでも理論値です。パイロットの負担や、万一のことを考えたら、経由地を設けて、途中で着陸するのは間違いありません。特に着陸場所がほとんど選べない洋上を飛行するなら、なおさら経由地は必要です。

 そう考えると、零戦が太平洋戦争の開戦初期に台湾の飛行場を拠点に、フィリピンにあるアメリカ軍基地まで飛んで行ったり(片道約950km)、戦争中盤に、南太平洋でラバウルとガダルカナル島を往復したりした(片道約1040km)のは、操縦手にかなりの負担になったといえるでしょう。

【了】

【写真】アメリカの国籍標識「白星」を付けた零戦

Writer: 柘植優介(乗りものライター)

子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。

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コメント

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11件のコメント

  1. 航続距離が長いのは、零戦の強みと言えるが、搭乗員の「負担」になったのも確かな事。
    ただ当時の日本軍は「強靭な精神力」が新兵教育で叩き込まれており「劣悪な環境」も当たり前であり普通だった。

    対して米軍の方は、どんな激戦時でも搭乗員には「定休日」があったそうな・・・。

    搭乗員を酷使する日本軍と定休日のある米軍・・・。
    戦闘機の優劣以上に、搭乗員の待遇の差が敗戦と言う結果に現れている。

  2. 増槽の割合間違ってないでしょうか。
    いずれにせよゼロ戦は残燃料を気にせず空戦に集中出来たのは強みですね。

  3. ハイレート可変ピッチペラ

  4. 戦闘機はトイレが無いので困ったでしょうね。毎日のような出撃で、途中で居眠りしてしまって落ちてしまったという事も多いようです。

  5. 片道1200㎞離れた硫黄島から飛来し日本の本土で30分の空戦能力をもつ零戦よりはるかに航続距離の長いP-51には全く触れないんですね。

    • まる マスタングの航続距離は3019km 零戦は3200km 遙かに優れているどころか負けているんだよ。

    • マスタングの場合、胴体タンクを燃料満載にすると「機体のバランスを著しく欠いて戦闘どころかまっすぐ離陸するのがやっと」になるので

    • 今更ですが零戦とP-51の比較を

      零戦とP-51では巡航速度が違います
      さらに零戦は無線がポンコツなので時間的なロスも大きいです

      想定ミッション
      離着陸+片道1,000km往復+戦闘30分

      零戦ならスムーズに事が運んで5時間弱
      P-51なら3時間強

      零戦登場時には強かったかもしれませんが、精神論だけでは良い成績を残せないのは今の常識になっていますよね。
      零戦の次を担う戦闘機を用意できなかったのは国力が足らなかったせいなので仕方ありませんが。

    • P-51は機内燃料での航続距離は雷電並で
      増槽込みの零戦1機分の燃料をまるまる大型増槽で吊るす
      みたいな力業で航続距離を長くした機体ですので
      増槽の効果の例として記事に書くには確かにふさわしいかもしれませんね

      ちなみに増槽取付部と配管接続部の強度上、増槽付きのP-51の速度は
      400km/hちょっと超える程度が限界です。
      長距離侵攻での所要時間は行きが15%ほど短く
      増槽を捨てた帰りの時間が38%ほど短く
      出発地と到着地が同じ往復では零戦より25%ほど移動時間が少なく済む
      と思っておけばいいでしょう。
      P-51に1000km往復させたらそれだけで4時間超えます。

  6. 当時の操縦士が、ラバウル—ガダルカナル間を飛んでの空戦は大変だったと証言しているのに、いかにも自分の意見のように「操縦手にかなりの負担になったといえるでしょう。」などと書くのは如何なものでしょうか?

  7. 零戦の航続力の長さが、至ってベテランパイロットの消耗を早めた点は、否定できません。顕著な例は、ガダルカナル島航空消耗戦でしょう。ラバウルから、ガダルカナル・ヘンダーソン基地まで直線距離で、1000キロを超える長大距離、これを片道2時間半以上かけて、飛行するだけでも大変な重労働。おまけに相手はレーダーで待ち構えて有利な位置から迎撃してくる数で勝るグラマンの群れ。これらと命を賭けて戦い続ける零戦搭乗員。そして、傷つき疲労困憊の体と、損傷を受けた状態でまたも、1000キロもの帰還飛行。ガダルカナルの航空戦では、この島の空中戦で命を落とした零戦搭乗員よりも、空中戦を終えてから、帰還する途中に負傷や、機体損傷の為に、人事不省に陥り力尽きて帰投できずに墜落死した零戦搭乗員の方が多かったのが真相でしょう。ましてや、当時は帰投するためのレーダー航法も無く、無線の性能も良くなかったのが現実。零戦の航続力の長さにあぐらをかいて、無理に無理を重ねた航空作戦が多くの零戦搭乗員の方の命を奪ったと言ってもいいでしょう。