ソ連「プロペラで走るスノーモービル できた 偶然だけど」 「アエロサン」の能力とは

プロペラ推進であるがゆえの欠点とは

 1939(昭和14)年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻に端を発する第2次世界大戦においては、多数の軍用アエロサンが兵器として開発量産されました。ロシア革命ののち成立したソ連とフィンランドとのあいだに同年11月、冬戦争(第1次ソ・フィン戦争)が勃発すると、ソ連はアエロサンに機関銃を搭載するなどして、本格的に運用しました。

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1924年にソ連で開発された2人乗りアエロサンのANT-IV。アエロサンは後部に航空機用エンジンとプロペラを装備しているのが特徴(画像:ドイツ国立公文書館)。

 冬戦争でアエロサンの有用性を再確認したソ連は、その後の継続戦争(第2次ソ・フィン戦争)や対ドイツ戦で、より本格的な軍用アエロサンの開発に着手し、ふたり乗りの小型タイプから5人乗りの汎用タイプ、さらには車体を装甲化したタイプまで様々な種類のアエロサンを開発し、戦闘に投入しています。

 しかしアエロサンにも弱点がありました。それは構造上、足回りは駆動しないただのソリのため、丘陵や岩場では動けなくなることがあり、平地でしか使えないという点でした。またあまり重くしてしまうと、ソリが雪に埋まり動けなくなってしまうため、重量を増やせません。そのため重装甲や重武装は難しく、また車体が軽いため強風に弱いという欠点もありました。

 これらのデメリットから、第2次世界大戦が終わると、ゴム履帯(いわゆるキャタピラ)の駆動力で雪原を走る雪上車やスノーモービルの方が軍用としては普及し、北米や北欧などソ連以外にも少しばかり見られたアエロサンは、もっぱらレジャーや趣味用がメインになっていきます。

 ただしロシアでは、シベリアなどでの人員および物資輸送用に、より大型のものが開発生産されており、たとえば1960年代に登場したKA-30は、ワンボックス型のボディに最大8人を収容し、最大速度100km/hで雪上を移動することができました。

 現在もロシアではアエロサンの開発生産が続いており、世界のアエロサンの生産数の9割を同国が占めています。

【了】

【写真】極地探検に使用されるアエロサン

Writer: 柘植優介(乗りものライター)

子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。

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