もしかしたら別機になっていたかも 初の攻撃ヘリAH-1「コブラ」 本命消失で主役に

本命「シャイアン」とん挫! 「コブラ」の運命が変わる

 こうしてAH-56「シャイアン」は誕生しましたが、高性能を求め過ぎた結果、盛り込まれた新機軸部分のトラブルとそれにともなうスケジュールの遅延、開発コストの高騰を招きます。しかも、そのあいだに攻撃ヘリ自体の運用構想が変化したほか、試作機が墜落事故を起こしたことで採用は見送られ、開発中止となりました。

Large 200421 ah1 02

拡大画像

設計上の性能は優秀だったが、各種問題から開発中止になったAH-56「シャイアン」(画像:アメリカ陸軍)。

 本命のAH-56「シャイアン」の量産化がなくなったことで、アメリカ陸軍はAH-1「コブラ」を改良し続けながら使うことにします。

 なお、そののちAH-1「コブラ」の後継として誕生したAH-64「アパッチ」の開発が始まるのは1970年代に入ってからであり、試作機の初飛行は1975(昭和50)年9月、部隊運用の開始は1986(昭和61)年からです。長期間にわたる後継機不在が、ある意味でAH-1「コブラ」の運用国拡大と生産数の増加につながったといえるでしょう。

 2020年現在でも改良型の運用が、日本をはじめ世界10か国以上で続いています。最初に導入したアメリカ陸軍はAH-64「アパッチ」で更新し、AH-1「コブラ」は退役しましたが、アメリカ海兵隊はAH-64「アパッチ」を導入せず、AH-1J、AH-1T、AH-1Wとその都度改良型を開発し、現在は最新型であるAH-1Z「ヴァイパー」の導入を進めています。

 ちなみに、日本では専守防衛の観点から「対戦車ヘリコプター」という名称を用いました。しかし、戦う相手は戦車以外にもあるとして、後継のAH-64D「アパッチ・ロングボウ」は「戦闘ヘリコプター」という名称が使われています。

【了】

【写真】アメリカ海兵隊が使う「コブラ」ファミリーの末弟

Writer: 柘植優介(乗りものライター)

子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。

最新記事

コメント

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleのプライバシーポリシー利用規約が適用されます。