海上の何でも屋 米海軍「PTボート」とは? ケネディ元大統領も乗った日本陸軍の天敵
揶揄された「PTボート」 やがて日本陸軍の天敵に
ただ配備された当初は、大型艦船が花形の海軍のなかでは、ベニヤ板を材料としている小型船ということで、評判は決して良くはなく、「ベニヤ板の驚異」「モスキート・ボート」と揶揄されることもあったそうです。しかし、いざ日本軍と太平洋で戦うことになると、緒戦からフィリピン方面で夜間哨戒にあたり、1942(昭和17)年3月には、マッカーサー大将(当時)のコレヒドール(フィリピン)脱出でも重要な働きをしました。
その後も、作戦海域の沿岸部などで日本の輸送部隊への襲撃やかく乱、偵察など幅広い任務に活用されました。そしてこの船に、日本海軍以上に手を焼いたのが日本陸軍でした。
PTボートは最大速力約40ノット(約74km/h)という高速にも関わらず、搭載力にはかなり余裕があり、12.7mm連装機銃2基と、7.7mm機銃を備えたもののほかに、20mm機関砲や37mm機関砲を搭載するタイプもありました。沿岸部や河川での輸送をおもに担当していたのは陸軍でしたが、陸軍の武装大発(上陸用の大発動艇を武装したもの)では速度、武装ともに太刀打ちできず、天敵と言っていい存在で、陸軍船舶兵は苦戦を強いられることになります。
やがてアメリカの優位に戦争が進むようになるとPTボートは、上陸作戦時の味方の舟艇の護衛に、代わるもののない存在となっていきます。乗組員も、勇敢で誇りをもって乗船していた人が多かったようです。当時のPTボート乗りは、戦後の資料やドキュメンタリー番組などで、「お互いを知らないやつが乗っている大型艦よりもいい船だ」と語っています。
乗組員の絆は非常に強く、ケネディ元大統領が艇長を務めた「PT-109」の逸話は、本国では有名です。1943(昭和18)年8月2日、ソロモン諸島西部コロンバンガラ島への輸送任務中に、日本海軍の駆逐艦「天霧」に沈められ、一度は軍から見捨てられたにも関わらず、生き残った乗組員と近くの小島に漂着し、敵機が飛び交うなか、数日間互いに励ましあい生還したのです。
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Writer: 斎藤雅道(ライター/編集者)
ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。
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