ドイツ生まれの客船を転用 旧海軍空母「神鷹」 日本がてこずった同盟国の先進技術とは
「シャルンホルスト」改装へ…ところが外国船ゆえの困難に直面
ヨーロッパで第2次世界大戦の火ぶたが切られてから2年余りのちの1941(昭和16)年12月、日本もアメリカを相手に太平洋戦争を始めます。開戦当初、日本海軍の空母部隊は連戦連勝でしたが、1942(昭和17)年6月のミッドウェー海戦で正規空母4隻を一挙に失うと、状況が一変しました。
そこで日本海軍は、空母戦力の穴を埋めるために、それまで以上に商船の空母への改装を推し進めます。こうしたなか、空母改装用として日本船籍の大型客船とともに白羽の矢が立ったのが、神戸港で係留されたままの「シャルンホルスト」でした。
日本政府はドイツ政府(駐日ドイツ大使館)と交渉した結果、売却の同意を取り付けます。日本海軍は直ちに「シャルンホルスト」を呉海軍工廠へ回航し、1942(昭和17)年9月から改装工事に入りました。
しかし作業開始にあたり、大きな問題に直面します。それは改装に際して、同船の詳細な図面がドイツ本国にしかないという問題でした。至急、取り寄せるにしてもいつになるのか、そもそも持ってくることが可能なのか不明です。そのため、まずは工員たちが実測して図面を作るところから始めなければなりませんでした。
現場の努力によって図面が完成すると、先行して空母に改装していた新田丸級貨客船と艦型が酷似していたため、ほぼ同じ要領で改装することが決まり、1943(昭和18)年12月15日には空母化の工事が完了、「神鷹」と名付けられました。
ドイツの高圧ボイラーは本国でも稼働率の低いものなのでこの見解はどうでしょう?
軍艦では高温高圧のボイラーを避けるもので、実際軍艦のボイラーは同時期の商船と比べれば低いのが普通です。
高温高圧のボイラーは熱力学サイクルから見れば魅力的ですが、現実には稼働率や整備性の悪化、被弾時の危険性増大などがあるためです。
神鷹のボイラーについて考えるとするなら、「予定通りに整備を受けられる前提の民間船の機関を軍で扱えるか?」という観点で考えるのが正解でしょう。よく「フレッチャー級は島風より高温高圧のボイラーを使っている」という人がいますが、船として必要な性能が出るならむしろ低温低圧で済ませるべきです。米軍でも扱いあぐねたのかフレッチャー級の次級では運転条件を少し下げていますね。つまるところ高温高圧のボイラーは「自国なら高温高圧でも扱える」という技術的自信の表れです。ですが、その自信が裏付けのないものだった場合にどうなるのかを大戦時のドイツ艦から学ぶべきではないでしょうか。